鹿皮に染色を施し、漆などで模様を描いて財布やバッグに仕立てられ、日本の伝統工芸品とされる印傳。だが「それらは、昭和に入って作られて印傳の代名詞みたいになっているけど、それは違う」と言い切るのは、宇陀市菟田野で、「奈良印傳」の復活に精魂を傾けている「印傳工房 南都」の南浦太市郎さんだ。「日本古来のものは、燻しと染め抜き技法なのですよ」
南浦さんは、化学研究所で分析の仕事をしていたが、24、25歳の頃から、皮革染色工芸の仕事で生計を立てる道に入った。軽くやわらかくて使い込むほどに手になじみ質感を増す印傳は、戦国時代には甲冑・刀などの武具に、江戸期には武士や商人の小物入れなどに男の粋と洒落のため贅が尽くされたという。
鹿革で印傳素材の製造を手掛けるうちに、自らも当時の印傳製品を収集してはその技術の高さに感嘆し、また掘り出し物を探す、を繰り返すことになった。
「あの風合いを残した染色技法は?」と、煙で革を染める「燻し(いぶし・ふすべ)技法」を試行錯誤。工房に陣取る特注木製ドラムに糊や糸で文様を施した鹿革を張り、竈で燃す稲わらの煙の量で変わる色づきを確認しながらスピードを調整して回す。「ガラッ、ガラ、ガラッ」。もうもうたる燻煙の中での過酷な仕事、これという色に燻し終えるのに3日かかることもあり、目も鼻も喉もやられる。
「しんどくない仕事なんてありますか」と南浦さん。手間暇と体力はかかるが、温度や湿度、煙の立ち方の違いによる微妙な変化が、独特の風合いを生むという。
正倉院や東大寺に奈良時代の作として残っている品々の、天平の工人たちが作り上げた技を再現していく中で修得した燻し技法が、平安時代の法令集『延喜式』の記述で確信でき、より高みへと技を磨いた。同時に、刀剣や武具の生産が盛んだった奈良こそが印傳発祥の地とする信念を持つに至った。
東大寺に残る『葡萄唐草文染葦』(漆皮箱の袱紗)の模様や正倉院の宝物など数々の複製に取り組み、その業績が評価され2016年、厚生労働省が卓越した技能者と認める「現代の名工」に選ばれた。
より多くの人に印傳の魅力を伝えたいと2014年、工房横に設けた展示スペースでは、数多くの秀逸印傳コレクションのほか、自作の燻し染めや染め抜きの印傳、昭和になって流行した漆で吉祥柄模様や長女の田中由香里さん(奈良県現代の名工/令和元年)オリジナル柄を捺染した財布や定期入れなどの小物も展示販売。妻の康子さんと長男の崇将さん夫婦ら家族総出で家業を回す。
出来不出来に大きく関わる鹿革素材の仕分けから加工・仕上げまで全工程を手がけられるのは南浦さん一人だけ。奈良古来の伝統工芸の火を絶やしたくないと願うが、家族に跡を継げとは言ったことがなく、技法も敢えて教えない。
主に染めと営業担当の崇将さんは、「確かに。でもここまでにした奈良の伝統工芸を父の代で終わらせたくないと思いました。販路も重要なので、まずは営業の勉強をしました。そして父にしかできない仕分けの力を学びたい」と、一子相伝の道を歩む決意を示した。
「古来の技法には鶉染めや粉込などまだ再現できないものがある。一つひとつ解明していきたい。新たなものを目指すのではなく”温故知新“、時代を溯って現代の商品としてよみがえらせたい」と言い、同時に「持ち手の人生の一部分になるようなクオリティーの高いものを作っていきたい」と、さらなる高みに挑む心意気を見せてくれた。