裸電球が灯る幅60〜70?の小さな木造駅舎。コカコーラの赤い自販機が置かれ、板壁には、東京オリンピック(1964)のポスターが貼られている。中をのぞくと、商品の陳列ケースが置かれた売店があり、畳の宿直室が付いている。ホームには、大村崑さんとオロナミンC、松山容子さんとボンカレーのポスターや看板などが掛かっている。
これは、昭和39年当時の箸尾駅(広陵町)を1/24スケールで再現したジオラマだ。作者は、ミニチュア・ドールハウス作家の植田定信ことシック・スカートさん。大和鉄道開通100周年を記念して、近鉄に移行した頃の駅舎だという。「資料が残っていなかったので、すべて聞き取り取材をしました」。売店をやっていた人の姪御さんをはじめ、当時を知っているお年寄りたちから、「入り口は階段やのうてスロープやった」「宿直室があったで」「踏み切りはなかった…」との声を一つひとつ形にしていった。「楽しかったです、そのやり取りが」
シックさんの前職は大手食肉チェーン店の社員。初めは肉を切っては陳列して売る仕事。そのカットと盛りつけ次第で肉の売り上げが全く異なり、誰よりもキレイに盛り付けることが生きがいのような毎日だった。「今思えば、それが、この道に入った原点だったんです」。大阪の本社勤務となり週休2日、暇ができて子どもの頃熱中したプラモデルを始めた。風景ジオラマの模型コンテストに出品したらいきなり大阪大会で優勝、その後も次々と賞を取った。
そのうち、既成のプラモデルではなく、一から自分で作り上げる楽しさを求めるようになった。名古屋のドールハウス作家の巨匠の勧めもあり、3〜4年前、奈良漬の老舗「いせ弥」(宇陀市)の店舗を製作。全くの独学だった。店の主からの聞き取りはもちろん、町の歴史を学び、店の前を流れる側溝の蓋石や鉄板など、古い町並みの現存品を見て回った。そして、初のドールハウス作品は、比類のない独創性で大好評を博した。
日常の出来事や風景を瞬間的に切り取った作品、そして「皆さんの記憶に残るぐらい(昭和以降)のレトロな風景」が得意だ。うっかり落とした卵パック、壊れた卵の黄身がどろ〜り。溶けたアイスキャンデーに群がるアリ、ゴミペールのうす汚れ感や、紙くずに残る絵や文字、リアルだ。「生活感を大事にしたいんです。人物を置かないのもそう。ストーリーを決めたくない。これを見たおじいちゃん、おばあちゃんとお父さん、お母さん、そして子世代のコミュニケーションの流れにつながり、それぞれに物語を紡いでくれたら、と思うから」
雑誌や菓子箱などは縮小コピー、畳は職人さんに習い、麦の穂を裂いて織った。編物は母親に教わり、レース糸を竹串で編む。何を見ても「これ、何かに使えへんかな? コレとアレ、組み合わせたらどうなる?」と考えるのが楽しいという。
天性のような器用さとアイデアで一躍、作家となり、講師となったシックさんだが、「持っている技術は、人に伝えたい」と言う。たとえば、奈良の木材の廃材などを利用した木工教室で、修理や小物作りの共同作業を通じて、高齢者と若者が生活の知恵などを交換・交流できる場になればと話す。「祭や伝統行事などの文化をミニチュアの形で伝承していくなど、社会のお役に立てるような活動ができれば」と、創作にかける夢と思いが膨らんでいく。