狙いをつけて備中鍬を入れ、親は?子は?孫は?とレンコンの節の向きを探りながら水を含んだ重い土をかき出していく。方向を読み違えると傷が付き、売り物にならない。全形が出るまで10分前後は中腰のまま、根気と集中力の要る作業だ。「腰痛が持病になりました」と苦笑するのは、下川麻紀さん(45)。山と川に囲まれた山添村の畑で、レンコンを栽培する。
生まれは愛媛県、高校卒業後、大阪でOLを17年余りやっていた。当時「田舎暮らし」がはやり、自分もそれに憧れ、縁あって結婚した相手が、村に生まれ育った俊文さん(67歳)だ。夫はサラリーマン、高齢の両親は田畑を人に任せ、続いていたのは自家菜園程度だった。
家事と子育てをしながら菜園の手伝いをしていたとき、トマトをかじった息子さんが発したのが、「ママが作る野菜は、世界一おいしい!」。その言葉に、農業を本気でやってみようと決意した。22歳年上の夫は定年間近、子育てしながら家計を支えられればと思い、農業を生業とする道に挑んだ。そしてやるからには安心安全の無農薬を貫こうと。
だが、現実はそんなに生やさしくない。作物は虫食いだらけ、出荷しても手間賃にもならない価格、1反2反の畑仕事では子どもを保育園に預けられない…。世間が向ける冷たい目や風聞の中、孤独との闘いが続く。そんななか、農業次世代人事投資資金の存在を知り、奈良農業大学校(現なら食と農の魅力創造国際大学校)で基礎を学びながら、書物で独学。
葉物は諦め、ピーマン、シシトウ、ナスや珍しい西洋野菜、大和野菜などに切り替え、60種あまりの野菜を直売場に出した。目新しすぎて売れず、返品の憂き目に遭うなど苦難は続く。そこで目をつけたのがレンコンだ。レンコンなら寒く厳しい冬場の畑の有効活用もできるし単価も高い。そして、2年間レンコン農家の指導を仰ぎ、栽培を始めた。
下川さんが作るのは備中レンコン。土中で作るため圧力がかかって身が締まり、もちっとして味も香りも濃いものができる。さらに、下川さんは出荷直前まで茎を切らず、呼吸させることでより濃い味のものに育てる。
農業を本格始動して7年。厳しい寒さに耐えて作り上げたレンコンは、奈良の直売所はもとより関東の名レストランなどにも人気を博するようになり、約2反の畑は、倍ぐらいに増やす予定だ。
今の姿からは想像し難いが、下川さんは内気な性格で友達作りも苦手、常に孤独だったという。それが、必要に迫られ、出会いに恵まれてネットワークが広がり、視野が広がり、一人では見つけられなかった出口が見つかり、経営にも生かせ人生にも幅や深みが持てている。
最初の出会いは、農業を基盤とする「なら起業ネットワーク和母(わはは)」(竹西多香子代表)。そのメンバーの1人に誘われて奈良の生産者や飲食店関係者80団体から成る「奈良のうまいもの会」へ。今では、広報と理事を務める。また、人手不足で困っている農家に労働力を提供し、対価として農産物をもらう「畑ヘルパー倶楽部」(見掛加奈代表)も紹介され、ずいぶんと助けられているそうだ。
田植えや稲刈り、芋掘り体験などはあってもレンコン掘りは珍しい。それを楽しんでもらえる収穫体験を企画し、人気を呼んでいる。「趣味がお菓子作りなんです。レンコンマフィンなど、収穫した野菜でスイーツや加工品を作り商品化していきたい」と、農業女子の夢は、六次産業化へと膨らむ。