トマトと会話する人―五條の農業家、松浦猛さん。トマトやベビーリーフ(小さな野菜)など約40種の野菜を毎日収穫して、契約レストランに配達する。松浦さんが五感を使い、わが子以上に手塩にかけて育てた野菜は、まさに芸術品だ。「心をゆさぶる野菜を作りたいんです」。だから毎日トマトと話をする。メルヘンの世界ではない。本当に野菜を美味しくするにはどうすればよいのかを追求した結果だ。
農業に足を踏み入れたのは6年前のこと。それまでは大学を出て、父の経営する自動車部品工場に入り精密部品を作った。やりたい仕事でもなく、忙殺される毎日に身も心も疲労困ぱいの毎日が10年続いた。
「何か違う。このままではあかん」。そう思い始めた頃、友達が農業をして成功していることを知り、自然農法に興味をそそられた。誘われるように、奈良県の新規就農者支援に応募し、1年間、農家に入って様々な種類の野菜作りや出荷方法を教わった。失敗を重ねながら、野菜を作ることにどんどんひかれていった。
「農業を変えたい。やるなら、かっこいいと憧れられる農業にしたい」。松浦さんは農業への転身を決め、五條のビニールハウスでトマトから始めた。
「人生を変える」。この時松浦さんは今までとまったく違う生き方、考え方をしようと決意した。また自分がおもしろいと思うことしかしないということ。先入観にとらわれず、自分がいいとひらめいたことはすぐにやることを決めた。そこから常識にとらわれない型破りな松浦式農業がスタートした。
常に人が考えないことを探る。たとえば、松浦さんのハウスの中はほとんど鉢植えだ。白菜もレタスも一つずつ鉢で育てる。手間はかかるが病気は移りにくいし、品質も維持しやすい。また、昨今レストランでは少量の珍しい野菜が重宝がられる。そこに目をつけ、ベビーリーフを海外から輸入して作ってみた。山のように失敗を繰り返したが、今はアート作品のようにキュートな野菜ができている。それらをどう売り込むかも松浦さんのセンスの見せ所だ。
そして格別の思いがあるトマト。もっと甘くて美味しいトマトを作るにはどうすればいいのか、ひらめいたのが、トマトの波動を変えるということだ。花にありがとうと話しかければ美しく咲き、ののしり続ければ枯れていくという話を知り、試してみることにした。
トマトに「おはよう」と挨拶し、いろいろ話しかけてみる毎日。また、トマトの気持ちになってみようと、トマトが水分を我慢するのと同じく、松浦さん自身も水分や食事を制限して我慢し、水分を与えるタイミングをはかった。
そのうち、トマトから話しかけてくるのがわかるようになってきた。トマトが不調の時は松浦さんまでしんどくなる。そんな松浦さんの愛情に応えるかのように、甘くて美味しいトマトになった。
思いがけず精密部品製造が農業にも役に立った。天候や気温、湿度に大きく影響されるのは、100分の1ミリの精密部品の世界でも同じだったから。
自信を持って松浦さんはレストランにわが子たちを卸す。愛情を持って育てられる範囲の量しか作らないので、昨年は一気に作付量を半分に減らした。それでも十分農業で豊かな暮らしはできている。
ひらめきはトマトハウスと決まっている。その通りにするとうまくいく。それを繰り返すうちに、起きる現象がまったく変わってきた。考え方、食べもの、付き合う人たちまで。何より家族に感謝の気持ちがあふれ、使っているモノも愛おしく大切にするようになってきた。さらに自分が変わると家族や周囲も変わってきた。今は毎日がとにかく楽しい。
1年365日、畑に行く。仕事ではなく歯を磨く感覚。だからしんどくはない。今後もこのスタイルは変えるつもりはない。ぶれないことが美味しい野菜を作る。トマトにそう教えられたから。