明治の初期から昭和10年代にかけて京都府南部の相楽(さがなか)村(現木津川市相楽)を中心に生産されていた手織り木綿の相楽木綿。戦争を境に糸が入手困難となり中断、戦後は大量生産時代に入って途絶えていたのを復元、伝承活動に力を注いでいるのが、福岡佐江子さんだ。
南山城地域は江戸時代から綿作が盛んで自給のための機織りとともに、隣接する奈良の麻織物「奈良晒」も生産していた。だがその需要が減り木綿織りに転換、織元があった村名から「相楽木綿」と呼ばれ、近隣府県で愛用されていた。
相楽郡和束で生まれ育ち、大学で幼児教育を学び保育士として働いていた福岡さん。婚家に相楽木綿があり、その温かみのある生地に魅力を感じていた頃、相楽木綿の収集家と出会う。それがきっかけとなり相楽木綿の復元を試みようと、帝塚山大学織物研究室で、あらゆる繊維や織りの技法を学ぶこと6年間。「人が自然のものを自らの生活に役立ててきた織物文化に魅せられ、より深く広く織物を追求したい」気持ちに拍車がかかる。そしてやるなら素材からと、和綿の栽培から始めた。その手紡ぎの糸を風合い良く織れる大和機に行き着く。
大和機は、奈良晒や大和木綿にも使われた傾斜高機。織り手の技能が問われる高度な機で、隣接する相楽郡でも使われていた。福岡さんは、2004年に京都府立山城郷土資料館で開催された『相楽木綿展』を手伝うが、そこにあったのが地元から寄贈された1台の大和機だった。
翌年、同館友の会サークルとして「相楽木綿の会」を立ち上げ、本格的に現存資料や古老からの聞き取り調査を行う。
木津川市相楽で当時99歳の女性から、直伝で絣括りの技法を教わることができたり、相楽木綿の研究を進めていったりするなかで、少しでも良い物を織りたいと思う気持ちが生んだ先人の工夫に感動。
奈良と接するこの地域の織物は、京都西陣の洗練された縞や柄行と、奈良晒の高度な製織技術を併せ持つ、いわば京都と奈良のいいとこ取りをした織物だったのだ。縞の間に細かい絣を入れたもの、色糸縞と絣の組み合わせや緯絣だけで文様を表す「工夫絣」など、絣と色糸の多様使いが特徴。
解明できた合理的で特徴のある絣技法や大和機の織りこなしなどから生まれた同地域独特の織物。その技術の復元も目指し、「この全国的にも珍しく、高度な技術を持つ相楽木綿を、この地の伝統として後世へ伝えたいと思いました」
2008年、京都府の地域力再生の取り組み「京のチカラ、明日のチカラコンクール」で優秀賞を受賞、それを機に翌年府の支援で「相楽木綿伝承館」をオープンした。館では、相楽木綿の現存資料や機織り道具の常設展示、綿繰り・綿打ち、機織り・糸紡ぎの実演や体験教室などで地域文化の伝承活動を行う。また2010年秋からは、機織教室も開講、織物の魅力を体感しながら本格的な復元と伝承者の育成に取り組んでいる。
「相楽木綿には、柄行・風合いに見える先人の知恵や工夫など織物の魅力が詰まっています」と、教室生の手元に目を配りながら機に向かう福岡さんだった。