大和郡山市、矢田寺大門坊の境内に安置される石造十三仏像。これは墓地整備のときに偶然に地中から掘り出されたものだ。『光秀』の銘があることから、寄進者は明智光秀との噂も出たが、何度も夫婦で矢田寺にお参りしていた郡山城主・豊臣秀長の室、藤(後の光秀尼)が秀長亡き後、供養のために造立したものとの説で大和郡山市指定文化財に指定された。
「どんなものも、その価値を知らなければ石ころ同然だ。また価値を正しく認識することで、より大事にせなあかんという思いが増し、さらには愛情が生まれる。これが『知即愛』です」と話すのは、この説を導いた歴史研究家の長田光男さんだ。
大正14年、五條市生まれ。青春時代は学徒動員により造船所で働き、軍隊に入隊。爆雷を抱えて戦車に特攻する猛訓練の日々だった。「終戦の日、命あることが夢のようだった」とその経験を振り返る。在籍していた師範学校では十分に学ぶことができず、通信教育を受けて教師となった。命・平和の大切さを子どもたちに伝えることをテーマに40年間教師を勤めた。
御年92歳、メモ帳を片手に東西南北、遺跡や古社寺、民俗行事などの取材に出かける。多い日は1日約10?を歩くという。原稿や資料作りは全て手書きにこだわり、知り得た知識は世のため人のために広く伝える。「”歩く・書く・トーク“。これが私の毎日のテーマ”三クの健康法“です」
長田さんの歴史取材の原点は中学生の頃、授業で訪れた本薬師寺にある。「東塔の心礎を前に、ここにお釈迦さまの舎利が納められ、その上に柱が立っていたと先生が説明してくれました。その情景が目に浮かび深く感動しました。今でも鮮明に覚えていますよ」
この経験を基に、長田さんの講座の多くは教室での座学と現地への歴史探訪がセットになっている。事前にはテーマとなる場所へ取材に行き、寺の住職や地元住民に声を掛ける。何気なく立っているお地蔵さまに深い意味があったり、独特の風習があったり、地域の伝承などは地元の人との出会いから知り得ることが多い。こうして足で得た知識に文献資料を折り込んで、手書きでまとめ講座で話す。参加者を現地へ案内するときは、取材時に出会った人に話をしてもらうこともあるという。「歴史講座はまさに、知即愛。何も知らなかった参加者が、私の解説によって目が輝く瞬間を感じるんです。こうして価値あるものが守り伝えられるのでしょう」。長田さんの深い知識と確かな歴史観、ユーモアのある講義は口コミで広がり、シニアの会や公民館講座、大学での講義へと広がっていった。講師を務める会の一つ『三の丸歴史愛好会』は2016年に講座数500回を超えている。
また、大和郡山市・川西町の文化財審議会でもその知は活きる。矢田寺大門坊の石造十三仏像他、川西町の油かけ地蔵など、数多くの隠れた文化財の発見やその審議も『知即愛』の心で挑んでいる。
「幼い頃から老いるまで、人は学び続けることが大切です。しっかり学べば世のため人のために何をなすべきかがわかる。『知行合一』、さらに行動を起こしてこそ知は完成する」と、長田さんは歩き続ける。