標高300メートル以上、昼夜の温度差が大きい大和高原地域にある奈良県山添村。平安時代の頃から茶が栽培されてきたという同地域では、番茶をおいしく煮出すための小さな竹籠”茶袋“が作られてきた。茶袋は布製のものも多いが、籠にすることで空間ができ茶葉がしっかり開くから、おいしい茶を煮出せる。長年の知恵が詰まった小さな伝統工芸品を製作しているのが浦嶋正幸さん(87)だ。現在、その細やかな竹細工を継承する人は少なくなり、浦嶋さん一人となった。
浦嶋さんが竹細工を習い始めたのは、終戦直後の1945年。大阪城内にあった大阪陸軍造兵廠から故郷の山添村に帰った冬のこと。家業の農業は強制出荷で手元にはわずかの作物しか残らず、足りない現金収入を得るために、同村の竹細工職人に弟子入りしたのがきっかけだった。当時も村で3人ほどしか茶袋は作っておらず、浦嶋さんが茶袋作りを学んだのは師事した親方が作っていたためだった。「親方は大変温厚な方で、怒ったりするようなことはなく、私は見て真似をして作ってみて、少しずつ教えてもらって技術を習得し、伊賀上野から来る仲買人に作った竹籠や竹製の農具、茶どおし(荒茶から仕上げ茶を作る際の竹製のふるい)、茶袋を売っていました」
昭和30年代に農機具が入ってからは、同村の坂本鉄工所で農機具の修理工として定年まで勤めた。その後、暇を持て余していた折に、師事した親方の息子さんから「茶袋作りを継いでくれないか」と浦嶋さんに声が掛かった。当時は月に5、6個ほど、同村の花香房(産直センター)に卸していただけ。浦嶋さんは「暇つぶしに」と思い、引き受けたところ、2014年に国土緑化推進機構の「森の名手・名人」に選ばれるほどに。「新聞やテレビの取材などもあり、注文が増えて作るのが大変になってしまいました」
材料の真竹は10月〜11月にまとめて採集。30〜4メートルの竹を細く割り、1本1本を何度も刃に通して薄く均一にし、竹ひごを作る。戦後に扱った竹と比べて、今の竹は質が変わり、加工しづらくなったという。「昔の竹は粘りとしなやかさがあり、筋が通っていて、刃を入れると下まですーっと真っすぐに割けた。最近は竹やぶが手入れされておらず、竹がぎゅうぎゅうに生えている。そんなところで育った竹は途中で割れたり、反れたり、なかなか細く長く割くのが難しい」
竹の繊細な技術が織り込まれた伝統工芸品は、大量生産できない手仕事の日用品だ。後継者はいない。「働き盛りの人にすすめられる仕事ではない。近頃、習いたいという問い合わせもあってうれしいが、編むことができても、材料がないと作れないので、竹の下準備から学んでもらいたい。もし、すでに竹細工をしている人や、退職した人、就職前の手習いなどでやりたい人がいれば」
茶を煮出すごとに黒く味わいのある色合いに変わっていく”茶袋“。大事に使い続け、色の変化を楽しんでいきたい生きたキッチンアイテムだ。