「…谷の向こうの山は奥深い影になり、石灰色の空に負けなかった…」(『上流の日々 』♯2―三百段―」)。川上村の自然や日常を美しい日本語で紡ぐアメリカ人、それがエリック・マタレーゼさんだ。
エリックさんは、ロサンゼルスに生まれ育った。高校のとき「親の知らないこと、干渉されないことをやろう!」と、日系アメリカ人の多い地域だったこともあり日本語を選択。4年生のとき、村上春樹作品に出会いハマる。カリフォルニア大学に進み、日本語を専攻、4回生の時『1Q84』が出て「これはもう日本語で読むしかない」と。同志社大学(今出川キャンパス)に留学、京都市内のマンションに住んだ。
卒業後、岐阜の中学校で英語教師を2年勤めた後、京都に戻る。半導体の会社で通訳や書類の翻訳をしながら、友人のフェイスブックで知った川上村を時折訪れていた。日本の文化と係わる仕事がしたいと思っていたとき、川上村が募集していた地域おこし協力隊を知り応募して合格、2016年6月から協力隊員として活動しつつ、通訳や翻訳、「anaguma文庫(旧オイデ文庫)」と名づけた自宅の書斎でライター業に励んでいる。
同年の11月からは、村の広報紙『かわかみ』に折り込まれる『オイデ新聞』を編集発行中だ。「オイデ」は「いらっしゃい」の意。村のニュースや、自分が体験したこと・感じたことなどを英語と日本語で記事にする。「スーパーもコンビニもない地域の、インターネットを使わない村民向けに、村の伝統のすばらしさや自然の美しさなどを僕の感じたままに伝えたい。ここに来たことがない人にも魅力を感じてもらえたら」と語る。
住まいは、村役場から南へ車で約15分、吉野川の支流・上多古川沿いの斜面にある上多古。34世帯54人が暮らす小さな集落だ。そのほとんどが高齢者。300段上の高台には、住人たちが毎月掃除をし、大晦日には徹夜詣でをする大年神社、川沿いには「上多古の東屋」と呼ぶ住人たちの憩いと交流の場がある。持ち寄った手料理とお酒で村の歴史のことなど会話が弾むという。
協力隊事業は、エリックさん移住の3年前からで、住民の理解もあり、何よりエリックさんの人柄で、区長をはじめ土地の人とのなじみも早かった。「おかずをおすそ分けしてくれるなど、みんな優しいです。フェイスブックやラインなどSNSによらない生の交流が楽しい」
協力隊の仕事の一つに土曜の朝市「やまいき市」がある。村で生産された野菜や、吉野川・紀の川の流域で作られたものの仕入れや販売を担当する。「お年寄りが日照りの日も雪の日も斜面の畑で励む姿に感動します」。扱う野菜をおろそかにはできないと気合が入る。
村に定住して3年目を迎え、多くの村民との出会いがあった。祭や行事への参加や手伝いで、日本独特の文化も垣間見る。それらを『上流の日々』という小冊子(現在第2部を上梓)にまとめた。
杉や檜の林立する深い森、巨大で美しい大滝ダム湖を中心とする吉野川・紀の川の源流部の自然、伝統行事、村人との交流…、体験したこと、魂を揺さぶられた様子などが見たまま感じたままに素直で誠実な言葉で綴られている。
「ここは吉野林業500年、南朝の舞台であり、さらに記紀万葉の時代まで遡る歴史を持つところ。村民も歴史を大切にしているし、その話の中で、山々の特別な力のことを耳にします」とスピリチュアルな世界に心を馳せ、「単なる村自慢にならないよう気をつけながら、僕が感じた村の魅力を伝えられたら」と、未知なる深みを探ろうとする輝きに満ちたまなざしと笑顔を見せた。