植物の花、幹や根から色素を取り出し、糸や布を染める日本の伝統色。400以上もの色があるが、その手法の多くは失われている。中でも、再現が難しいとされてきたのが茜染。この茜染を平安時代に記された古代史料『延喜式』をひも解き、探求し続ける主婦がいる。染色研究家の宮崎明子さんだ。
兵庫県明石市に生まれ育ち、学生時代は国文学科で島崎藤村について研究。染めの世界とは無縁だった。きっかけは甲冑研究家の夫の調査について回ったことから始まる。東京・武蔵御嶽神社所蔵、平安時代に作られた国宝赤糸威鎧。明治時代に修復された部分の赤糸は退色しているのにも関わらず、当時のまま残る茜染糸の鮮やかな赤色に宮崎さんは衝撃を受けた。しかし、染色の専門家によると現在でも茜染はできるものの、古代の赤色を再現することは困難とされていた。
子どもが生まれ、夫の仕事の関係で奈良県へと移り住むことに。「奈良は茜染の宝庫でした」。春日大社に残る国宝赤糸威大鎧を始め、法隆寺、正倉院と茜染による多くの宝物が存在。「人を魅了する古代茜染の赤は私の人生を変えました」。子どもが小学生になり、自分の時間を持てるようになった頃、どうしても茜染を復活させたくて、日本の伝統色の再現研究を行ってきた吉岡常雄氏、子息の幸雄氏に師事。天然染料による染色のいろはを一から学んだ。
染色を始めて10年、転機は突然に訪れた。夫の代理で出席したある会で、奈良県教育委員会文化財保存課の山田和夫さんと出会ったのだ。山田さんは文化財保存の視点から茜染が途絶えていることを気にかけ、手に入りにくくなっている日本茜の種を山から採ってきて自宅で栽培、興味がある人に分けていた。「本当に驚きました。どこに人生のラッキーがあるかわかりませんね。すぐにダンボール1箱分の日本茜を分けていただき、本格的に茜染の研究に取り組みました」
宮崎さんの研究は、古代史料『延喜式』を読み解くことから始まった。茜染の材料は「茜大卅斤。米五升。灰二石。薪三百六十斤。」と書かれている。これまでにも染色の専門家が『延喜式』を基に茜染の再現研究を行ってきたが、「米」の用途が解明されていなかった。粥にする、腐らせる、酢を加えるなど、様々な研究が行われたが、茶色っぽかったり、濁りが出たりと思うような結果は得られなかった。宮崎さんは先の研究結果や他の様々な記述から、米は色素抽出のために使用し、芳しい香りのする状態で、しかも酸性でかつアルコール分を含むという条件を満たすものと解釈し、『発酵』の仮説を立てた。自宅の台所は実験室となり、料理道具やビーカーを使い、発行の度合いを変えたり、玄米を使用したり、酢を加えてみたりして少量ずつ染めていった。研究を始めてわずか1年、見事にあの濃くも透明感のある鮮明な赤を引き出すことに成功したのだ。「古代の人々は手の込んだことはしていなかった。素材そのものの持っている性質を十分に理解し、自然の道理にかなった、とってもシンプルな答えだった」と宮崎さん。
困難と考えられていた古代の茜染にほぼ近い色を作り出すことに成功した宮崎さんは、より確かな実証を得るためさらに研究を重ねている。多くの茜を使うため20年前から畑を借り、無農薬で日本茜を栽培。正倉院に見る織物に近づけるため、織機は宗像大社様式の天秤腰機、糸は古代製法による繭糸を使用。全て古代の様式を用い、自身で生地を織り、染めて茜染を再現している。「茜の研究を始めて20数年。古代の茜染に行きつくために、次々に課題が見てきます。一歩一歩確実に近づいていく実感が私の原動力。特別な設備も薬品もない、自然を活かした時代の物だから私にもできたのかもしれません」宮崎さんをここまで魅了する茜染。今年、正倉院展でぜひ茜染に会ってみたい。2017年10月