室町時代から茶筌作りの里と名高い生駒市高山町。高山竹林園の近くで一風変わった看板が目に留まる。「究極の耳かき作ります」。茶筌を中心に竹細工を製作販売する『翠竹園』だ。主は一子相伝の茶筌技術を受け継ぐ伝統工芸士・稲田有節氏。茶筌作りの傍ら、使い手の声に耳を傾け『究極の耳かき』を作っている。
茶筌屋・伝統工芸士の長男として生まれた稲田さん。幼少の頃から父母や家に出入りする職人さんを間近に見て育つ。その頃は花嫁修業の一環として、茶道をたしなむ女性も多く、茶筌の生産は追い付かないほどだった。小学校の頃から家業を手伝い、大学卒業後には父である稲田正實氏に弟子入りし自然に職人の道を志した。
茶筌の世界は繊細かつ緻密。茶の湯の流派によって定められた形を忠実に再現することで評価が決まる。何千個と製作し続け、竹の特製を体で学び技術を習得。2001年には現在15人しかいない高山茶筌の伝統工芸士に認定された。しかし、外国産の安価な茶筌が出回り、仕事は激減。荒れた竹林が増え、後継者は減り、茶筌を取り巻く環境は変化していった。
伝統を守り伝えるため、父の代から工房を解放し見学者の受け入れを行ってきた翠竹園。稲田さんはもっと気軽に伝統工芸に触れてほしいと、県道沿いに茶筌の製作工程の一部が見学できる工房を兼ねた竹細工店を始めた。接客も仕入れも初めて。どんなものが売れるのか、ヒントは人との会話から見つけた。
『究極の耳かき』も客の声から生まれた商品の一つだ。耳かきは、もともと高山地区の職人が、仕事の合間に作っていたもので、生駒市の特産品の一つでもある。稲田さんもオーソドックスな耳かきを販売していたが、20年前に出店した百貨店の催事で転機は訪れた。「もう少し硬めだったら…。ヘッドの角度が。大きさが…」と客からの子細な要望を多く受けた。「耳かきには強いこだわりを持った人が多くいる。マニアもいれば、合う耳かきが無い人、耳鼻科でしか耳かきができないと悩んでいる人もいました」。そんな声に応えようと、稲田さんは使う人に合わせたオーダーメイドの究極の耳かきを作り始めた。
材料にはしなりがあって折れにくい真竹の煤竹を使う。煤竹は竈のある家の天井に張られ、約200年燻された竹のことで、希少傾向にある。しなり・大きさを削り分け大まかに12種類を用意。しなりの硬い”ハード“、軟らかな”ソフト“、高齢者が使いやすい太い持ち手のある”シニア“、親が子どもの耳を掃除しやすいようにと極小でカーブのあるヘッドを持た”母の愛“などがある。用途や好みに合わせて選び、その場で試し耳かきをしてもらう。力の入れ方などの癖、耳の形状をて、さらにその人に合ったものへと調節していく。後日でも不具合を感じれば調整し、折れてしまった場合でも、持ってきてもらって改善点を探す徹底ぶりだ。「何万人もの耳を見て、声を聞いてきた。一人ひとり耳の形が違えば、癖も違う。耳かきで性格もわかるようになってきましたよ」
好みもそれぞれ、一つとして正解がない耳かき作り。「お客さんと一緒に作っている感覚です」と稲田さん。店には耳かきの他、カプチーノを泡立てる茶筌マドラーや薬味寄せなど、客の声を反映した個性的な商品が並んでいる。「茶筌は守るべき伝統。竹細工は冒険です。茶筌屋らしくないけど、現代人が求めるものも作っていきたい。売れないものもあるけどね」。竹製品の伝統を守り伝えようとする職人の姿があった。