飛火野にすっくと立つナンキンハゼ。4年前の冬、保山さんが絶望の中、バスからここに降り立った時、目に飛び込んできた。「枝が千手観音に見えて、思わず手を合わせました。その時僕は生涯この木を撮ろうと思いました」
保山耕一さん。奈良を描く映像カメラマンとして、今最も注目されている。
風が吹く、花びらが落ちる、水の中で揺れる……自然の一瞬一瞬を慈しむような映像に、見た人誰もが言葉を失い、口にする。「奈良ってこんなに美しいところだったのか」と。
保山さんが奈良を撮影し始めたのは4年前だ。それまでは『THE・世界遺産』や『情熱大陸』といった著名なテレビ番組を多数手がける売れっ子カメラマンだった。それがある日、このままだと余命2か月という末期がんの宣告をされたのだ。
仕事を辞め、手術と抗がん剤で治療に専念、運よく抗がん剤がよく効いた。だが潮が引くように保山さんを取り巻く人はいなくなった。「病気で倒れたら一人も友達がいない。それだけ最低な奴だったんです」
社会と完全に孤立し死ぬことも考えた。だが最後に生きている実感がほしい。強く思った保山さんは、撮りたいものを撮ろうと決意。それが奈良だった。「世界中の絶景を撮ってきて、本当にすばらしいと思ったのは奈良だったんです」
奈良は仕事柄数え切れないほど来ていて、いつどこでどんな場面が撮れるかわかっていた。安価なカメラと三脚を買い、毎日、奈良の様々な場所を撮り続けては3分ぐらいに編集して、インターネットにUPした。あの飛火野のナンキンハゼが始まりだ。SNSを見た人たちから反響があり、友達ゼロと自称した保山さんに徐々にファンが増えた。
ある日春日大社から声がかかり、初めて奉納上映会を開いた。300人の席は満席。鳴り止まない拍手に、少しだけ自分は役に立ってるんじゃないかなと感じるように。今度は奈良県からの要請で、東京で吉野を映した千人の上映会。映像を見てぼろぼろ泣いている人たちを見たり、その後吉野に大勢の人が押しかけた話を聞いたりして、また自分が役に立ったことがうれしかった。そして、涙する人たちから、「苦しくつらかったことを思い出した」などの話を聞き「世の中の不幸を一人で背負っているように思っていたけれど、つらいのは自分だけじゃなかったんだと知った」という。
その時自分の原点を思い出した。高校3年の時に一人で映画を撮って文化祭で上映したら皆が感動して泣いてくれた。それが映像の世界に飛び込むきっかけに。
ガンは再発し抗がん剤の副作用は容赦なく襲ってくる。それでも1日3時間だけ撮影に出る。長年の経験で自然への嗅覚は並外れている。空を見て雲の流れを読み、風を感じ自然と対話する。「花が話しかけてくるんです。撮るなら今やでって」。五感で感じてレンズを向けたくなる、五感が喜ぶ場所が奈良なのだという。
病気のお陰で生まれ変わった。「人生すべてが仕事漬けだった自分が、ガンになって全部失い、自分が本気でやりたいことを続けていたら、いろんな人に出会い助けていただいて、いろんなものが入ってきました。病気後は人から与えていただいた人生で感謝しかないです」。人は誰でも死に向かう。だからこそ一秒一秒が愛おしい。
今は、氷室神社のしだれ桜を残すために行動を起こしている。「自分ができることをやりたい」と、仲間と寄進の会を開く予定だ。「こんな人生が待っているなんて夢にも思いませんでした。本当に僕は幸せです」