奈良市街地から車で約2時間。霊峰大峯山の登山基地天川村。関西の屋根と呼ばれ、深い緑と清らかな空気、深い渓谷とそこから流れ出る清流「天の川」、村内3つの温浴施設が自慢の村だ。夏は冷涼でアウトドアの人気スポットだが、冬は寒さ故か客足は今一つ。過疎化にも悩み、地域に活力を生むため、観光や産業の雇用を創出するための取り組みが必至だ。
村の産業建設課では数々の企画を打ち立て、今までにない画期的な冬の名物をと昨年5月から始めたのが、廃校になった旧天之川小学校を利用したトラフグの陸上養殖だ。岐阜県飛騨市で陸上養殖(飛騨とらふぐ)を手掛ける飛騨海洋科学研究所のシステムを導入したもので、教室だった場所に10トン水槽2基を据え、約200匹の稚魚を飼育することに。その飼育員として白羽の矢が立ったのが、下西勇輝さん(24)だった。
同課の弓場儀一郎課長が、企画段階で養殖について知ろうと好適環境水研究の第一人者である山本俊政氏を岡山理科大学へ訪ねた折、在籍していたのが4回生の彼だった。
下西さんは五條市に生まれ育ち、地元の智辯学園高等学校に進む。小学生の頃、テレビで「さかなクン」を見て、「海ナシ県に海を持ってこれたらいいなぁ」と思っていたそうで、同大学で”新しい水“を研究している先生の下へ。卒業後いったんは広島でサラリーマンになったものの一昨年9月、天川村の地域おこし協力隊となり、トラフグ養殖の担当となった。
昨年1月から教室を改修、2月には環境づくりのため、成魚20匹を入れ、5月下旬に稚魚の飼育を始めた。今年1月半ば、500グラム前後だった成魚は1キログラムに、3〜4センチ5グラムの稚魚は20センチにも育った。水温(20℃)、塩分濃度(海水の3分の1、㏗8.4)、水流を保ち、餌の制御とストレスの少ない生育環境がそろうので、通常出荷までに2〜3年かかるところを1〜1.5年ぐらいに短縮できるという。海面養殖と異なり、赤潮、魚病、津波・荒天等の外的要因を受けにくいこともメリットである。それでも200匹の稚魚は130匹にまで減少、生き物を飼う難しさを実感する日々だ。
下西さんは、朝9時から15時まで2時間おきの餌やりや生育観察、水温・水質管理などの業務を、研究者や大学の恩師の指導の下に行う。「寝ても覚めてもこの子らのことで頭がいっぱいです。餌の食いつきでも健康状態がわかりますし、全滅した夢を見てうなされることも」と苦笑い。2日間の休日明けに成長を実感できるときが一番うれしいと言い、「大学で学んできたことに繋がる仕事ができることに感謝しています」
「自作飼料の調合や採算、養殖方法の確立などに向けて、まだまだ実験中。これからが正念場」としながらも、村でフグ調理師免許の講習会を開くなど、新名物のトラフグ養殖は前進中だ。「おい、フグ西」と呼ばれて「はい!」と返すほどトラフグ養殖に懸命な下西さんに、課長も「まだ試験段階だが、彼なりに試行錯誤しながら勉強してくれている。フグと一緒に成長を続けるこの子がいれば村にひと花咲かせられそう」と大きな期待を寄せる。
軌道に乗れば生産・出荷量を増やし、雇用を生み出し、村営から民営に移行させる予定だという。山村でフグと言えば『山ふぐ(コンニャク)』だったが、「ほんまもんのフグを食べに天川村へ」の日が一日も早く来ることを切望する。