天気のいい昼下がりのならまちを歩いていると、前に小さな屋台を積んだ自転車に出会うことがある。「何、売ってるの?」「寄席文字ってご存じですか? 右肩上がりの文字は・・・」と、にこやかな笑顔で説明を始めるのは、縁起雑貨・寄席文字まるやの染井大さんだ。小さなデスク大の箱にこまごまと並んでいるのは、寄席文字の祝儀袋やブローチ、マグネットや自作の遊び文字グッズなどなど。
寄席文字とは、できるだけ隙間を少なく右肩上がりに書いた文字。寄席興行の客入り(空席が少ない)と商売繁盛の縁起を担いだもので、物事が上向きになる縁起のいい文字だ。染井さんは、母親で女流寄席文字書家として活躍中の橘右佐喜さんによる小物を手にしてもらうことで、寄席文字の普及を目指しているのだ。
自転車は、特別あつらえのカーゴバイク。雨天でない日の昼前、大仏殿の北の仕事場から、ゆるいジャズに心身のリズムを合わせながらゆっくりとペダルを踏み出す。観光客の多い東大寺や興福寺を抜けて猿沢池からならまちへ。そのはじめに必ず立ち寄るのが南市の恵毘須神社。
お賽銭をあげて今日の商運・ご縁運を祈る。「祖父母やその前の代に神職や僧職が多いせいか、無宗教ながら神仏には神妙です」。気を入れて中心部へ移動する。人通りはそう多くない。時にはほとんどない日もある。それでも11時頃から夕方4時頃まで、ならまち界隈をぐるぐる回る。
ならまちへのこだわりがあった。実は、染井さん、9歳までならまちで育った。近所の人々にかわいがられ世話になった。ならまちの良さを、東大寺や奈良公園止まりの観光客に知らせたい、もっとこっちへ呼び込みたい。幼少の頃の恩返しが少しでもできればとの思いが、ならまちへとペダルを踏ませるという。
高校卒業後、大阪の写真学校を卒業したが、デジタルとの変遷期にあって何かしっくりせず、奈良の障がい者施設で働いた後、手に職をと伊豆で寿司屋を営む親戚の下へ。10年修業を積んで3年前に奈良へ戻った。自分の店を持つために、物件探しの毎日でもある。
「あらぁ、会えたわぁ。このお兄ちゃんに会えたらラッキーなんやて。TVで観たたわ」。名古屋から仲良し3人で小旅行に来たというおば様たちが取り囲む。品定めをして、染井さんオリジナルの木製ストラップに好きな言葉を筆で書いてもらう。母親から習ったわけではないが、“門前の小僧、習わぬ経を・・・”なのか、曲面に筆ですらすらと遊び文字。代金を
受け取って「ありがとうございます」と手渡す小さな包みは、「縁結び」と書かれた中に赤い糸が結わえられた5円玉。ご縁を大事にする「ご縁返し」だ。
数分違っても出会えない迷路のような路地のならまち。この“移動屋台に出会えると運がいい”との風評が立ち、実際にそんなエピソードも。「熱烈なさだまさしファンの人が、このご縁返しをプレゼントした数日後、偶然ご本人に会えたと喜ばれました」。子どもさんのお受験がうまくいったとか、商談がまとまったという話も多い。
「元興寺塔跡の立派な桜が見頃です」「和カフェなら・・・」。観光客には、ならまちの穴場情報を案内する。ご縁は、まちの住人や商店の人ともつながり、情報交換でかわいがってもらう。
雨は大敵。悪天候の日は、ベースで雑貨作りに励む。数百円単位の雑貨を売っての自活は難しく、夕方からは友人の経営する料理店で働く2足わらじの生活だ。
「何でこんな仕事を始めたのかな」と落ち込むことも多々あった。だが一方で、「ありがとう、お兄さんのおかげでいい思い出ができたわ」など、結んだ多くのご縁が支えとなり、「こんな面白い仕事は他にはないな」とも。新たな気持ちで今日もペダルを踏む。
「奈良公園からわずか10分のところに、こんな素敵なスポットがあるのですよ。宝探し気分でまちの魅力と僕を見つけに来てください」。