奈良県北西部を流れる一級河川、富雄川。かつてこの川沿い流域は盛んな稲作地域だった。1911年にイタリアで開催された「万国産業博覧会」に出品された富雄産の米は日本を代表して金賞(最高賞)を受賞したほど。現在は奈良市有数の住宅地域となったこの富雄の町で米を作り、守り、新たに発展させようと奮闘しているのが就農3年目の大野收一郎さんだ。
大野さんの家は300年以上続く米農家。3歳までは飼い牛が田の代掻きをしており、米作りを手伝いながら育った。高校生になって米や酒の配達アルバイトで初めて給料をもらったとき、実家の米の年間売り上げと比べて愕然としたという。「このままでは結婚して生計を立てられないのではと、思いました」
大学卒業後、サラリーマンとなり、大阪から東京へと転勤。IT関係企業役員を勤め、仕事に没頭する日々を送っていた。「その頃は、終電まで働いたり土日も仕事したり、外食ばかりしていたからか、日光アレルギーを発症してつらかった。家庭を持ち、妻の手料理を食べるようになってからは軽くなってきました」
父が亡くなり、2人の子を持ち、43歳を迎えた2011年、東日本大震災が起こった。「スーパーから物がなくなって、私たちが食べていたものはどこかの農家さんが作ってくれていたものなんだ、と改めて実感しました。と同時に、子どもたちに安全なものを食べさせてあげられるのか不安になりました。その時に目に浮かんだのが実家の田んぼでした」
翌年、大野さんは富雄に帰り、翌々年には農業の専門学校へも通いながら、田んぼへ。育てる米に地元の誇りになる名前がほしいと思案を重ね、生まれたのが「金鵄米」だ。日本書紀の“金の鵄が舞い降りた地”の伝説から名付けられた。「食べてくれる人に直接届けたい、と思っています。それで無人販売所の“米屋”と、母と妻の案で“マルシェ(市)”を始めました」
実家の納屋で開いた“米屋”では、「金鵄米」と大野さんが企画開発した米粉の「古都華クッキー」のほか、畑で採れた有機野菜が並ぶ。現在、帯解でも野菜を作り、大和伝統野菜などにも挑戦中だ。「『農家です』というのは正直おこがましいと感じています。米しか作っていなかったし、前職の仕事も続けている。でも、これからもっと野菜なども育てて、それをこの町の人にも知ってもらいたい」
その思いに一役買っているのが、不定期開催している「田んぼdeマルシェ」。育てた野菜や米の販売ほか、自然志向のパン屋や雑貨屋の出店、ヨガやDJ、おんぶ紐講座などのイベントを開催して、近隣のお母さんたちや子どもたちと交流する場になっている。
19年前、地元の三碓小学校校長と先代との縁から始めた小学5年生の児童らとの米作り体験を引き継ぎ、米作りの親子体験も開催。「この体験を通じて、食べている米や野菜への興味をより広げてほしい」と願う。
「田んぼにいると、ここで米を作り続けてきた父や祖父の気持ちがだんだんと分かる気がします」
大野さんが守る田んぼの風景は、近隣の人にとって心を癒やしてくれる大切な場となっている。地産の滋味を手渡ししたいと、農で生きる道を模索する日々だ。