奈良市の旧市街から東へ車で約20分、奈良市茗荷町の里山約3.5?に、木蓮の樹木園が育ちつつある。2010年から足掛け8年、約2百種3千本の木蓮をコツコツと植え続けているのは、奈良市に住み、それぞれに社会で活躍中の沢井啓祐氏(71)、三家昌興氏(71)、松本陽一氏(66)だ。
3人は、遷都千三百年祭での東京のアンテナショップ事業時の知り合い。「何か奈良のためになることをしたいな。自然の中でレストランとか開けたらええな」との思いから、松本氏の持ち山をその拠点に決定。氏の先祖が杉や桧の植林をしていたが、近年は手入れもできず人も入らず荒れる一方だった里山だ。杉・桧を伐採し、林道をつけ、木蓮の苗木を東京の安行・久留米・稲沢など、数少ない木蓮専門産地へ仕入れに行った。
毎年11月〜3月にかけ、谷、斜面、尾根へと数百本単位の苗木を植えては、その育ち具合を診る生活が始まった。ヨーロッパやアメリカには立派な木蓮園があるが、日本には皆無と言ってよく、専門書もない。洋書を拾い読みした。モデルがないからすべてが試行錯誤だ。植えたものの根付かない、根付いては枯れる、新芽を鹿やイノシシに食べられる、の繰り返しが続く。
3人は、樹木医の三家さんを頼りにそろって、あるいは別々に、本業の合間を縫ってほぼ毎日通う。水遣りや下草刈り、施肥や消毒と、作業はキリがない。酷暑の夏には、毎日2000?余の水を運んでは潅水した。一巡するのに3日を費やしたとか。「やってみんとわからんことがたくさんある。壁に当たっては、『さあ、どうしよう』の繰り返し(笑)」
そんななか、沢井氏や三家氏は、それぞれに小屋を建て、栗や柿、柚子、桑など実の成る木を植え、シイタケ栽培も同時進行。沢井氏は、伐採した木を再生するため炭焼き窯も造った。作業に疲れたら、そこで午睡や炭焼きBBQなどを楽しむ。「作業はエンドレスで疲れるけど楽しい。息抜きかな、ここでの時間は」
松本氏は現場から徒歩5分のふもとにある、実家で奈良市指定文化財「松本邸」の門屋を改装、3人が集える基地とした。
「尾根や斜面より、谷側のほうがよう育つな」「ここが”白い谷“(白い花木で埋めた谷)だ」……。ドローン撮影のパネルを見ながら男たちの話は尽きない。
木蓮は、接木だとクローンのように同じものばかりなので、種類を増やすために三家氏は実生の苗木も育てる。「過去(原始時代も?)の遺伝子が残っていてとんでもない花が咲く可能性もある。”田原“とか”茗荷“品種誕生か」と妄想(本人弁)を膨らませる。
8年がたって里山の随所に花は咲き始めた。だが3人が目指す樹木園にはまだ遠い。10年先20年先、木蓮の木は20〜30?のツリー型に育つはずだという。花期は4月初旬頃〜7月上旬、標高420〜460?の中高地では、遅霜の心配もある。白い花は、霜で茶色く朽ちるのだ。虫害・鹿害・猪害…、それでも3人は続ける。
「荒れてた里山に人気がしてきました」と目を細める松本氏。「ここの茗荷町にしてもそうですが、奈良の東部には、鹿野園とか誓多林、忍辱山など仏教用語が多い。仏教聖地だったということですよね。そんなところに”木の蓮“の園。だから「華坊主の里」。こじつけかな、ははは」と笑うのは沢井氏。
「早よ、咲け〜。俺らあんまり時間がないんじゃ〜」と吠えながらも空を突く木蓮の木立に花が咲き香る姿を夢見るナイストリオだ。