「子どもの頃から人間よりも牛が好きだった」と、公言するほどの牛好きが高じ、奈良県最大級の肉牛牧場・金井畜産を経営するのは、金井啓作さん(71)。宇陀市室生の山間部、三重県名張市との県境に5万坪1600頭の牧場を営む。
育てているのは、奈良県のブランド牛「大和牛」とアンガス牛、交雑種、ホルスタインに加え、近年のヘルシー志向に合わせた赤身肉の「まほろば赤牛」だ。
22年前に入社し、牧場長を務める甥の金井文利さん(42)をはじめ10人の牛飼いさんたちの朝は、7時の見回りから始まる。「社長は、5時からですよ」と文利さんが伯父を見て優しく笑う。見るからに穏やかでシャイなお2人、狂牛病や牛肉偽造事件など大変な危機をも、牛への絶大な愛情で乗り越えてきた自信に裏打ちされた優しさなのだろうか。
1頭1頭、牛の状態を見る。目力、耳は垂れていないか、便の色や尿の勢い、風邪を引いて咳や鼻水は出ていないかなど、全身をくまなくチェックする。「牛は、しゃべれんからな。人間の赤ちゃんと同じ。牛からのサインを見逃さないことが大事やな。元気なやつは、起きて背伸びをして、いいおならをする」
ひと回りするのに3時間はかかるという。その後の餌やりが午前中続き、午後は、床にたまった糞などを片付ける床出し清掃やオリジナル飼料づくりに明け暮れる。
飼料は、牧草と配合飼料におからとモヤシかす(商品規格品外のモヤシ)を混ぜるのが金井畜産流。大豆タンパクが体にいいのは牛も同じだ。牛種によって、配合割合を変えるが、コストを抑えつつ、食品ロス防止にも一役買っている。
標高550〜650mの高原は、きれいな空気と水に恵まれている。風通しのよい開放的な牛舎で育てられる牛は、ストレスも少なく、それだけ健康で安全、おいしい肉に育つ。品評会でも数々の受賞暦を持ち、平成30年には、第42回大和牛枝肉共励会で見事優秀賞に輝いた。令和になってすぐにも優良賞を取る。
大和牛が銘柄牛として確立したのは、2003年。松阪牛や神戸牛にも負けない肉として成長しつつある。金井畜産でも、最高の大和牛の生産に力を入れていた。が、5〜6年前のこと、久々に里帰りした娘さんに大和牛の最高級の肉を振る舞ったところ、「食べにくいから要らん。赤身の方がいい」と。
それがきっかけで、2015年、赤牛の飼育も始めた。脂が少なくてあっさりしているが、牛肉本来の旨みや甘みが強いのが特長で、「まほろば赤牛」としてブランド化、奈良の名シェフたちの食指も動かしている。
だが、「やっぱり、関西は霜降り神話が根強い。サシが入ってないとあかんねん。俺ら団塊の世代から次世代交替したら嗜好も変わって、受け入れられるんだろうけどなぁ」と、肉の味をわかってもらえないことへの悔しさを言葉にする啓作さん。今は、肉の購買者10人に1人程度のファンだが、近未来に期待する。
啓作さんは、1回3時間の見回りを、朝、昼、夕と日に3回、片時も牛から離れない。自宅がある五條市よりも、牧場に寝泊りするほうが多い。お産のときは、牛舎に寝る。「99歳まで生きて、リニアカーに乗りたい。そして、最期は牛小屋で迎える」と笑った。