「さ〜んげさんげ、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」。白装束の山伏の声が響き渡る。吉野から熊野まで大峯山脈をはじめとする紀伊山地は、古代から神々が住む神聖な場所とされ、山伏による山岳修行の場として知られる。
特に大峯奥駈道は吉野山上ヶ岳から熊野三山まで縦走する最も厳しく険しい道で、75の修行場がある。中でも第62番の笙の窟は、西行法師などの名僧もこぞって参籠修行した場所だ。
これらを含む吉野熊野国立公園、通称「よしくま」を案内する奈良山岳ガイドの第一人者が岩本泉治さん。岩本さんの実家は上北山村の天ヶ瀬集落。昔から大峯奥駈修行をする多くの行者をサポートする山伏の村だ。そして、その中でも岩本家は代々、行者が笙の窟に籠もる前に前行をする道場として知られる。「天ヶ瀬の里で一番偉い人を『かすみの棟梁』と呼びます。これは行場を支配する人という意味なんです。山伏である村人は行場を知り尽くしておかなければなりません。私も祖父に連れられて4歳半から大峯に登っていました」
こうして大峯山系を駆け巡ってきた岩本少年。家業である林業に携わった後、県庁職員となったものの、19年勤めた後やはり育った山に関わりたいと退職。在職中に立ち上げたNPO法人で、森の整備事業などを定例化し、次に本格的に山岳ガイドの組織化をと奈良山岳自然ガイド協会を立ち上げ、育成に力を入れている。現在ガイドは35人になったが、岩本さんのようなプロはまだ10人弱だ。
岩本さんは山伏というより一般登山者を案内する道を選んだ。宗教だけではない、自然や歴史や多くのことを伝えたい、山を整備し守りたいと思ったからだ。
歴史についても深い知識を持つ。切り口がいくらでもあり、リピーターを飽きさせない。今日は地形、今日は自然、歴史などお客さんを見ながら決めるという。知識が豊富で話が面白いとあって岩本ファンが増え、「岩本さんと歩く大峯ツアー」などを客の方が企画してくる。岩本さん自身、要望や熟練度などに合わせてどんなツアーでも企画する。
今心配なのは山がかなり変化していることだ。昔は見通しが悪いジャングルで、苔むした健康な大峯だった。今は木が枯れてツルツル、見通しがよく登山客には喜ばれるが不健康なのだ。これは鹿害によるものが大きい。鹿が増えすぎて木の芽を食べ尽くし木が育たない。岩本さんらは希少植物の絶滅が危惧されることから絶滅危惧種の保護にも力を入れている。
もう一つの心配は遭難事故が増えたこと。山を知らずに軽装備で入る人が多い。どこでも携帯電話が通じるために平気で救助を要請してくる。疲れて歩けないからヘリを呼んでというとんでもない人も。
「甘く見たら命を落とします。今年もベテラン登山者が一人滑落して亡くなりました」。女人結界の場所に夜中に忍び込もうとした女性登山者もいた。
「千数百年も修行の山として残ってきたのには、神々が宿っているという自然への畏敬の念を持って、手を加え守ってきたから。そんなことをしっかり伝えるのが私の役目かなと思っています」
今年は“よしくま”が80周年を迎える。「知っていただく絶好のチャンス。誰も見たことのない巨木巡りなど、様々な事業を企画しています。皆様に愛され皆様を元気にする“よしくま”にしていきたいです」