伊賀で有機栽培に取り組む伊賀ベジタブルファーム。ここで生き生きと作業する一人が岩野祥子さんだ。笑顔が愛くるしい彼女は、実は元南極観測隊員として2度越冬した、ガッツあふれる女性だ。
南極観測隊は約40人の隊員で構成されるが、様々な専門分野から選ばれる。岩野さんは地学系専門として抜擢され、第42次に女性では最年少隊員として、48次には2度目を経験。2度の越冬は日本女性としては初だった。
愛知県豊田市出身。一つ上の兄と野山を駆け回って育った。大好きな空のことを研究したくて京都大学理学部に入学したが、周りは天才ぞろいで自信を失い、スキーばかりして過ごした。そして空が無理なら土の下の研究を選ぼうと地球物理学の道に進んだ。「お陰で後に南極に行くことができたのだから、ついてますよね」。そもそも南極自体、友人に教えてもらうまで行けるなんて思ってもいなかった。大学院在学中に観測隊員として声がかかり、参加に踏み切った。
南極は日本の37倍の広さがあり、最低気温マイナス89度、地球上で最も寒い氷の大陸だ。隊員の観測期間は約1年で、毎年11月に日本を出発。オーストラリアから暴風圏と呼ばれるすさまじい海域を渡って昭和基地へ到着する。昭和基地は大陸から4km離れた島にあり、大陸への観測などすべて複数人数で出向く。
ここはいつでも死と隣り合わせだ。車のエンジントラブルも自分たちで直す。直らなければ生きて帰れないことにも。ブリザードで道が消されると基地に戻れない。「無我夢中の初回と違い、2度目は自分がリーダーを務めなければなりません。皆の命も預かるわけです。とにかく“生きる”ことに向き合う毎日です」。そんな緊張感はあるが、地球規模で物事を考え、46億年の地球の歴史を感じながら仕事をするダイナミックさも経験した。終わってみたら人生観が変わっていて視野が広がった。
だが、その人生観をさらに覆したのが、東日本大震災だった。あっけなく命が奪われた惨状に愕然とし、何かしたい一心で被災地へ。瓦礫の撤去や新しいまちづくりの手伝いなどやれることは何でもやった。「驚いたのが、炊飯器がないとお米を炊けない、電気がないと調理できないお母さんたちが多いことです。そこにお米があるのに」。生きる力の弱い人が多いことを痛感し、防災士資格を取得。現在、各地で講演活動をしながら生きる術を伝えている。奈良には大学院卒業後、モンベルに入社した時から移り住んだ。
「目の前の人の役に立ちたい、南極での経験をした私だからこそ、多くの人の生きる力をつける、伸ばす、広めることが自分のミッションだと思います」
そのための次の手段が農業だ。世の中がどうなろうと自分の食べるものは自分で作る強さがほしいと、農業研修を経て現在の伊賀ベジタブルファームに入った。真に価値ある物を次代に引き継ぎ、持続可能な社会を作っていきたいという村山邦彦社長の目標に共感、経営も手伝う。
「私の中では命をつなぐということで、南極も防災も農業もすべてつながっています。今後も私にしかできないことを発信し続けます」