柔らかな感触と肌触りに魅了されるオーガニックコットン。3年以上化学薬剤を使わない畑で、一切の農薬や化学肥料を使わず栽培された綿花のことを指す。
オーガニック製品を生み出す大和高田の村上メリヤスは、加工や染色の際もまったく化学薬剤を使用しないこだわりで、一枚一枚丁寧に手仕事で製品にしている稀少な工場だ。直販売ゆえに、アトピーで悩む人、肌の弱い人や赤ちゃんなどにとても重宝され、全国から注文が入る。
営むのは同社社長の村上恭敏さん。中学で使われていた校舎を移築した、ノスタルジックな工場で、妻令子さんとご両親の4人で作っている。
村上メリヤスは明治初期に創業。紳士服・婦人服などのニットウエアを展開してきた。特徴は小ロット。デザインから手がけ、質のいいものを百貨店などに納入、ブランドを自らの手で作ってきた。
恭敏さんは二男だったが、小さい時から多くの縫い子さんたちがいる工場が遊び場、幼稚園の時から裁縫が大好きだった。ゆえにごく自然にこの仕事に就いた。
40歳が近づく頃、転機が訪れた。「どんどん繊維業界がしんどくなってきて、信頼して一緒にがんばってきた取引先から、この先はどうなるかわからないと言われたんです」。考えた末、家族に告げる。
「卸の仕事をやめようと思う」と。
やめて何をすればいいのか悩んだが、結局手元に残っているのは工場と材料と今まで作ってきた商品。まずはどんなものが売れるのか知ろうと、それらを持ってフリーマーケットを回り、マーケティングを開始した。次に頻繁に客が来る場所と頭をひねり、クリーニング店に交渉、店にセーターを並べてもらった。クリーニング店の次はギフト店に持ち込んだ。当たり前じゃないやり方で、どんなものがなぜ売れるのかのノウハウを知った。
長く使える質のいい商品に的を絞り、オーガニックコットンに目を向ける。次に考えたのが原材料から作ることだった。自分で棉から作ったらどれほどの価値観が生まれるんだろう、やってみたい! 思いに突き動かされて工場裏の畑で棉づくりを始めた。
収穫量は多くないので、同時にアメリカから認定のオーガニックコットンを仕入れた。商品は、こつこつやってきたマーケティング手法を駆使、客の声を集めた。「商品のサンプルを作っては東京の青山や代官山のマーケットに出店し、お客様に感想をもらう他、こんなのあったらいいのにというものを教えていただくんです。次にはそれを作ってまた持っていきます。うちの商品はそうしたニーズに応えて生まれた商品ばかりです」
発想の転換が村上さんのセオリーだ。繊維と関係のない食関係の見本市などに出て、違う業種の人たちとつながり、新たな商品開発にもつなげていった。
お客様がほしいものを安心な素材で丁寧に作る、家族4人がそれをモットーに分業で一つずつ商品にする。出来たものは直接お客様に届けるように、土・日曜はほぼ毎週、関西圏のオーガニックマルシェなどに4人で手分けして出店する。
店舗からもオーダーがあれば一つから納品。ただし大量注文は受けない。コンセプトが共感できるお店や人とつながりたいと村上さんは話す。
儲けを考えてできる仕事では決してないが、仕事の先に多くのお客様の喜びがいくつも見え、ストレスはたまらない。
「不安はありません。下る勇気を経験したから。父が教えてくれたんです。私が悩んでいる時に父が『山の頂上に立つと下るのは怖い。そのまま地下にもぐるかわからん。どれだけそこから跳ね返せるか下ったものだけが経験するんや』と」
工場裏の棉畑は特別な畑だ。この地の棉から作られるのは赤ちゃんへの贈りもの。希望する人には棉摘みをしてもらいその棉からおくるみやベビー靴をつくることもできる。
「単なる商品ではなくストーリーを提供したい。自分が携わった物たちへの愛おしさを、いろんな人につないで、伝えていきたいです」