赤、白、黄、茶、水色の五色の和紙に、奈良らしい透かし彫りが施された「奈良団扇」。扇げばしなやかに風を運び、夏の暑さをしばし忘れさせてくれる。
この奈良の伝統工芸品で新たな風を起こしているのが、三条通に店を構えて160年の老舗「池田含香堂」の6代目・池田匡志さん。平成生まれの若き職人だ。
奈良団扇の歴史は古く、奈良時代に遡る。春日大社の神職の手内職として制作されていた団扇が、次第に洗練され、江戸時代中頃には現在の透かし彫りの形に。一時は途絶えかけるも、明治時代に同店2代目が透かし彫り器具一式を発見。製法を研究、復活させた。
時代の変遷に伴い、戦前には10軒ほどあったと伝わる奈良団扇の店も、現在は池田含香堂ただ1軒のみ。匡志さんは唯一の継承者として、母親の俊美さんと2人、伝統を守っている。
奈良団扇の特長は、何より「透かし彫り」の美しさにある。20枚重ねた和紙に手製の小刀を垂直に差し入れて彫る技術「突き彫り」によって、カッターナイフでは表現できない優美な曲線を描き、団扇に命を吹き込む。
透かし彫りのデザインは、奈良の風物や正倉院文様など、奈良にゆかりのある模様。その数、約100種にも上る。型紙に従って彫るも、仕上がりは職人ごとに少しずつ異なるそうで、「僕はシャープな切れ味を感じられる彫り具合にこだわり、そこが手作業の醍醐味だと思います」と匡志さん。例え同じデザインでも、職人一人ひとりが感じる『美しい団扇』がそこに映し出されている。
そして、ただ美しいだけでなく実用性も高いのが奈良団扇の魅力。扇部分の骨数が60〜70本と、一般的な団扇の2倍はあるため竹がよくしなり、広い面積に透かし彫りが施されていてもしっかりと風を起こすことができる。インテリアとしてだけではなく、使うことで奈良団扇の良さが感じられるのだ。
団扇製造は、1年を通じてすべて手作業。冬の寒い時期には「紙染め」、温度や湿度が高い初夏は「貼り」など、自然のサイクルに合わせて行う。元来は家内工業として4〜5人で作っていたが、先代が早くに亡くなったこともあり、匡志さんが継ぐまでは先代の妻である俊美さんが1人で作っていたそうだ。
匡志さんは大学卒業後、6代目に就任。母親の仕事ぶりを見て育ったが、いざ職人として働き出すと、知識も経験も足りないことばかりだと痛感した。歴史を学び、技術を極めるにつれて奈良団扇の奥深さを感じ、すっかり虜に。「自分にとって最も身近で、素晴らしいと感じる奈良団扇を広めたい。この思いが、僕にとってのモチベーションです」
そこで、従来通りの店舗販売だけでなく、団扇作り体験や展示会への出展など、積極的に外へ発信。その結果、体験教室は歴史や作り手の思いを知れる機会として好評を博し、屋外でのクラフト展は、雨や湿気、日光などリスクにさらされながらも、同世代の職人や作家から多くの刺激を受けることができた。「奈良団扇にはまだまだ伸び代が残っています。他の工芸技術を奈良団扇に取り入れてみるなど、あらゆる可能性に挑み、変えなければいけないところは変えていきたいです」
ボタン一つで簡単にエアコンが効く、手軽な時代。街では広告入りのプラスチック製団扇が無料で配られ、奈良団扇を取り巻く環境は日々変わってきている。「便利で物があふれている時代だからこそ、良いものを良いと感じてほしいですし、その良さをちゃんと伝えていかないとあかんな、と思います。目標は2つ。奈良の伝統工芸品として教科書に載ることと、そのために少しでも多くの人に知ってもらい、より良いものを作れるよう、高みを目指すことですね」
さわやかな笑顔の中に、熱い思いを秘める若き職人。彼が作った奈良団扇は、この夏も新たな風を運んでくれることだろう。