まるで、空が透けて見えているかのような美しい羽を持つ「アサギマダラ」。春になると台湾や香港から海を越えて日本列島を北上、秋に南下していく蝶だ。約2千km飛行するこの“旅する蝶”を、幼虫から成虫まで育て、空へと還す飼育キット『虫とりのむこうがわ』が、1年のモニター調査を終えてこの春、奈良から旅立ち始めた。
通称『虫むこ』を開発したのは、株式会社 空から蝶の社長であり「蝶使い」の道端慶太郎さん。奈良市出身、野山で虫を追いかけていたかつての虫取り少年が、「蝶で人と自然を近づけたい」の一心で商品化した。
きっかけは、環境コンサルタントとして絶滅危惧種の野生動植物調査をしていた時のこと。「大好きな生き物を研究して仕事になるんですから、幸せでした。でもふと、ただ減っていく生き物をレポートしているだけじゃないかと疑問に感じ始めました」と道端さん。
農業問題に取り組む人との出会いもあり、自分がどれだけ社会問題に無関心だったかと気付く。そこで、自分の好きな「生き物」で社会に役立とうと、生態系のピラミッドを支える有用な野生植物を増やすことを目的に、ソーシャルビジネスの世界へと足を踏み入れた。「キャンプやバーベキューなど、自然の中に行くことは今やイベント。そうではなく、自然を連れてくることで人と自然の共生を日常にしたいと思いました」。こうして開発したのが『虫むこ』だ。飼育用のガラスケースに幼虫が入った状態で届き、暑さに注意しながら付属のエサを与えるだけで育つというもの。
アサギマダラを主役に選んだ理由は、日本のほぼ全土で羽化が可能で、幼虫、サナギ、成虫と姿を変えるごとにインパクトがあること。何より、羽が美しい。「理科で習うモンシロチョウって、子どもを引き付けるにはちょっと地味(笑)。アサギマダラなら、人と自然をちょうちょ結びできると確信しました」
アサギマダラの幼虫は、黒い体に黄色と白色の模様が入った奇抜な姿。4?程に成長すると脱皮し、金箔のような模様が浮き出た黄緑色のサナギとなる。透明な殻の中から羽の筋が見えたかと思えば、一気に真っ黒に。翌日には、アサギ色の羽を広げる蝶が姿を現す。
羽化を終えると、いよいよ旅立ちの時。蝶を空へ還すことが『虫むこ』最大のルールだ。「さみしいですが、誰かが遠くでこの蝶に出合うかもしれないし、他の蝶と一緒に海を渡るかもしれない。蝶を同じ地球で生きている仲間だと感じることこそ、蝶が結ぶつながりです」
道端さんの元には、毎日全国から『虫むこ』報告のメールや手紙が届く。虫嫌いだった子どもが図書館へアサギマダラを調べに行くようになったり、子どもが飼育する様子を隣で見ていた大人が「羽化を見て心が震えました」と生命の神秘に感動したりと、子どもも大人も蝶を通じて自然への関心を広げている。
道端さんの4歳の娘も『虫むこ』を経験した1人。サナギよりも大きな羽の蝶が中から出てきたことに、理屈抜きに衝撃を受けていたとか。「このかけがえのない原体験を、ぜひ子どものうちにしてほしいですね。目標は、『虫むこ』を小学校の基礎教育にすることです」
もうひとつのソーシャルビジネスが、蝶を呼ぶ庭「バタフライガーデン」の施工だ。都会のビル群でも緑地化は行われているものの、木々は消毒されており、虫も蝶も近づかない。「自分の行きたいところを選ぶ蝶は、自然のモノサシ。蝶が庭に飛んでいたら楽しいし、心も豊かだと思いませんか」。実際に県内外で施工が始まっており、蝶が好む食草を配置した生物多様性の庭が生まれつつある。
今でこそ「人と自然をつなぐ」をライフワークに掲げる道端さんだが、調査研究時代は現実から切り離された竜宮城のようだったと懐かしむ。「社会に出てきたのは、結局人が好きだったからでしょうね。今やっと、自然環境の分野から子どもや社会を幸せにすることができ始めた気がして、それがうれしいです」