「杉やヒノキは傷が付きやすく、外国産の針葉樹と比べると、製作には気を使わなければいけません。でも使う人にとっては、その傷一つひとつが思い出になると思うんです」と語る岡浩也さん。和歌山県との県境に近い十津川村平谷で、十津川産材を使った家具工房『BStyle』を営む。一帯は全国的に名の知れた木材の産地。だが実は、ここの木を使った家具職人は少ない。岡さんは貸倉庫を工房に、日がな一日デザインや構想を練り、製作に勤しむ。
生まれも育ちも十津川村平谷。「地区に商店は少ないし、買い物も大変。月に一度、クーラーボックスを持って、五條や和歌山の市街で大量の買い出し。小さい頃は、それが何より楽しみでした」。十津川高校卒業後は物を作る職人にあこがれ、地元で大工の仕事を探すが、当時は仕事の少ない時代。思うような就職先に恵まれずにいた時、友人から九州で家具職人を募集していると聞いた。家具作りのことなど全く知らないまま九州は熊本の職人に弟子入り。以後7年間、九州で家具製作を学んだ。
家具の木材は、一枚の厚板からなる“無垢”と、板を張り合わせた“フラッシュ”とに大別される。経験のない岡さんに任されるのは、フラッシュ材の板を張り合わせる「板ハギ」ばかり。連日の単調な作業に、意を決して次の工程をしたいと願い出た。「あれが良かったかどうかは分かりません。ただ、挑戦するチャンスはもらえた」。ここから持ち前の器用さを認められ、本格的に家具作りを任されるようになった。
独立を考えていた岡さんは、以後いくつもの工房や会社を転々とする。奈良県都祁村の家具工房や天理市の輸入インターネット通販会社、知的障害者向け施設での木工教師、さらに刑務所で刑務作業として作る木工作品の指導も経験した。それらを通して、図面を引く技術やインターネットの知識、何より多くの人脈を得た。
岡さんが十津川に戻ったのは、33歳の時。家具職人として独立するなら、店舗を構えるよりインターネット通販を使った方が良いと考えてのことだ。空いていた故祖父の家を工房に、受けていた仕事を『B’Style』として集約させた。以来1年半。吉野杉に代表される、地産の木材での家具製作を続ける。やがて工房は大通りに近い倉庫に移転。現在は村が展開する「十津川村家具プロジェクト」にも積極的に参加し、東京で行われる新作家具発表会の準備や北海道の新十津川町に学習デスク80台を納品するなど多忙な日々だ。
「実は戻った当初は、人と会うのが嫌だったんです」と岡さん。人と会うと、「何かに失敗して戻ってきた」と思われる気がしたそうだ。ただ、昨秋の村の文化祭には、村全図の木工パズルを製作して参加、大好評を得た。今では地域の人にも理解され、時には差し入れをいただくこともあるそうだ。
昨年、母校の十津川高校に工芸コースが出来た。「ゆくゆくは工房を大きくし、卒業生の何人かでも働いてもらえるようになれば」と岡さんの地元への思いは熱い。今後もこの工房で生まれる様々な家具が、生活の中で付いた傷と一緒に、たくさんの家庭の思い出をつなぐ。