夏は滝や高見川が涼を運び、冬は厳しい寒さが山里を白く染める東吉野村。ここで、若者に田舎での新しいライフスタイルを提案するデザイナーがいる。7年前、両親の住むこの村にやってきた大阪府出身の坂本大祐さんだ。
村との出会いは、中学1年生の時。入学と同時に1年間、祖母の勧めで山村留学にやってきた。ニュータウン暮らしだった坂本さんにとって、友達と滝に飛び込んだり、自転車で片道2時間かけて魚釣りに行ったりする日常のすべてが新鮮。そこには漫画やアニメでしか知らない自然の中の世界が広がっていた。
留学後は大阪暮らしを再開。大学で建築を学び、卒業後にアンティーク家具店で働いていた際、お客さんの「店に合うテーブルが見つからないので作れないか」の声でデザインの仕事を受けるようになった。周囲にデザイナーが多かったことも刺激となり、伝えたいことをプロデュースするデザインの面白さにひ惹かれていった。
本格的にデザイナーへと転身すると、収入も大幅に増加した。だが、ひたすら仕事をこなす生活の中に、自分の時間はなくなっていた。「周りは皆ライバル。ステータスや名声を上げることが目的になっていた自分に、違和感も抱いていました」。しかし止まることを知らないまま31歳を迎えたある日、坂本さんはついに体を壊してしまった。
これを機に、東吉野村への移住を決意。留学での縁から交流が続き、村を気に入った両親がすでに移り住んでいたこともあり、坂本さん自身も生活の拠点を村へ移した。
以前に比べて仕事量は激減。だが「どうしても君に頼みたい」と言ってくれる人からの仕事が入ってきた。その分、一つひとつの仕事を納得するまで時間をかけて探るうちに、本当に望まれるカタチを突き詰めるようになった。「都会ではカタチを変えるだけで商品が売れた。でも、結局はそれの繰り返し。本当にいいデザインとは、シンプルで長く愛されるものだったんです」。これには長いスパンで木を育てる吉野林業の考え方にも影響を受けた。
村で暮らし始めて、生活と仕事の順番が違っていたことにも気付かされた。とにかく仕事中心だった都会生活。今では「こういう風に暮らしたいから、こう働く」と考えが変化。自分らしい暮らし方が自然と体の回復にもつながった。
「都会は僕らの親世代が作り上げてしまった。でも田舎って、余白のある絵なんですよ」。これからの若い世代でも描けるのが田舎。求められる仕事があり、住むだけでも喜んでもらえる。ならば、それを支援するカタチを生み出そうと、村内にシェアオフィスを作る計画や、移住者が住む家のデザインを発案。県や村、クリエイター陣が手を組んで歩み始めた。実際に、大阪でデザイナーとして活躍する友人夫婦も坂本さんの暮らしに憧れて村に引っ越してきている。
「こんな暮らし方があっていいんじゃないか、という思いを、これからもここで描いていきたいですね」