日本三大人工美林に数えられる吉野杉。奈良県中南部の豊かな自然と500年続く確かな技術が生み出す銘木だ。その杉の秘めた可能性を追求するのが梶谷哲也さん。15年前、『山いき』を目指して東京から吉野杉の名産地・黒滝村にやってきた。『山いき』とは山へ行き、間伐や枝打ちなどを行い、山を生かす林業のプロ。
「幼い頃から木の香りや手触りが好きでした。と言っても、木製品でしか木を知らなかったんですけどね」。東京都出身、緑や川と縁遠い環境で育った梶谷さんは、都会には無い自然の中での生活に興味を抱き始める。大学卒業後、周りの友人は都心で勤めるも一人迷わずIターン就職を決意。就職情報誌で見つけた黒滝村森林組合の現場作業員に応募し採用され、憧れの田舎暮らしに心を躍らせた。
しかし待っていたのは文字通りの「晴耕雨読」。雨の日は仕事が無く、台風が来ると川の増水や土砂崩れに備えなくてはならない。移住してきた平成10年には木が倒れるほどの暴風が村を襲い、自然の脅威を突きつけられた。「今思うと頭でっかちでしたね。田舎ではのんびり暮らせるものだと思っていましたから」
さらに驚いたことがある。山で切り捨てられた間伐材だ。間伐は森を育てるために必要な手入れながらも、切った木は土に還るようその場に放置されていた。「他の木の生長のためとはいえ、吉野杉ブランドほどの木が切られたまま使われないのを見てショックでした」。このまま捨てておくのはもったいない、なんとかしたい。木への純粋な思いが梶谷さんを熱くさせた。
技術が身につき仕事にも慣れてきた5年目、ついに運命の出会いを果たす。当時、日本に入ったばかりのチェンソーアートだ。丸太からチェンソーを使って作品を彫り出すのに、やわらかい杉は打ってつけ。「まさにこれだ! と魂が震えました。これならもう一度杉に命を吹き込め、林業を知らない人にも興味を持ってもらえますから」
以来、梶谷さんは休み時間や週末になると、取り付かれたかのように作品作りに没頭。その迫力あるパフォーマンスと生まれる繊細な作品のギャップに、林業従事者のみならず一般の人をもたちまち惹きつけた。その後も『山いき』として働く傍ら、林業のPRにと実演イベントや講師を引き受け、体験スクールの立ち上げにも従事。7年前からは地元の吉野高校で体験授業を行い、木と向き合う面白さを伝えている。
杉の学名は「Cryptomeria Japonica(隠れた日本の財産)」。いつまでも隠しておくのはもったいない。林業不振の終わりが見えない昨今、「吉野杉の長い歴史を担う1ピースとしてきちんとはまり、より大きなパズルにするのが『山いき』である僕の使命」と語る梶谷さん。杉のさらなる可能性と吉野林業の未来を掴むべく、梶谷さんの挑戦は続く。