万葉集にも詠われ、古から愛されてきた椿。古種を含め、約千種の椿が咲きそろう大和郡山市の「椿寿庵」は、愛好家には知られた場所。現在、3代目の戸尾早希さんが母・西畑季佐さんと共に営んでいる。
ビニールハウス2棟の中には、約6千株の椿があり、万葉の時代のものから新品種まで様々な名称が連なっている。奈良の三名椿である東大寺開山堂「のりこぼし」、白豪寺「五色椿」、伝香寺「武士椿」はもちろん、古来種の多さは全国でも珍しく、遠方からわざわざ訪れる人が多い。港シリーズなどユニークな名前もあり、見て歩くだけで楽しく、苗の頒布もしている。中には季佐さんの名前を付けたものもある。
始めたのは早希さんの祖父の西畑義雄さん。果樹園を営む傍ら、椿を集めていた。当時、椿はぽとりと花が落ちることから首落ちと忌み嫌われていた。西畑さんはそれを憂い、「椿はゲンの悪い花と違う、椿葉八千年言うて長寿の大木と言われる縁起のええ花や。そんなこと言うてたら日本中から椿がなくなってしまう」と椿作りに力を入れるように。息子の住男さんと共に増やしてとうとう椿園を作るまでになった。
継いだ住男さんが18年前に脳内出血で倒れ、突然長女の早希さんが面倒を見ることになった。椿作りは素人で、母季佐さんの記憶をたどりながら見よう見まねでやってきた。どんなに大変でも祖父や父の遺志を継ぎ、シーズン中は無休、無料で公開し続けている。
とにかく研究熱心だった義雄さんは、宮内庁限定復刻版『椿花図譜』を入手。これは江戸時代、椿が流行した頃に出版された図録の一つで、当時の珍しい品種などがわかる貴重なものだ。義雄さんはこれを見て研究を重ね、全国を駆け回って集めたようだ。
椿は茶花としても重宝されるだけに、当初から僧侶や茶人なども大勢訪れた。その中の一人、東大寺の清水公照師が「椿寿庵」と命名し、平岡定海師が揮毫、仏師の太田古朴氏が扁額を作った。入江泰吉氏もよく写真を撮りに来たとか。年に何度も来られる方、ここに来て椿を好きになった方など、たくさんの方々の愛情を、やってみて初めて知ったと早希さん。「だからやめるにやめられずここまで来たんですけどね」。手入れはさほど難しくないと言いながら、6千株を栽培するのは並大抵のことではない。苗は毎年、鉢物も3年に1度植え替えが必要だ。夏の日焼けや雨、風、冬の霜など苦労は多いが「イケズ言うたらあきません、椿にわかるみたいで元気なくなりますねん」と季佐さん。女二人でどこまでがんばれるかと言いながら「来てくれた人が『わー、きれい』と言ってくれただけでそんなもん全部吹っ飛びますわ」と笑い合った。
来場者に喜んでもらえるように手製のポストカードを作り、奈良のことを話せるようにと早希さんは奈良観光ソムリエ1級も取得した。3月は椿の開花に合わせて御殿雛など古いお雛様の公開も行う。二人で育てたとりどりの椿は、今年も大勢の方の心を和ませることだろう。