花鳥画の権威である日本画家の上村淳之さんが、京都府南山城村にある10万坪ほどの荒山を里山に再生する計画を進めている。このほど地元住民らと共にNPOを立ち上げ、本格的に動き出した。
この土地は縁あって上村さんが取得。鳥たちが住む里山に再生したいと地元の人たちに思いを話したところ、すぐに賛同者が現れ、元小学校校長の橋本洋一さんが事務局長となり3年前に実行委員会が立ち上がった。過疎化や高齢化に悩む地元の人たちの間で、これを機に村を元気にしたいと輪が広がっている。
上村さんからの要望は「法律のない山を作ること。重機を入れて再生しないこと」。つまりルールなど作らなくても人々の善意で運営される山。思いのある人たちが集まって、チェーンソーやのこぎりを使い、自分たちの手でコツコツと作っていく里山を目指す。
「目的は花鳥画の発展に結び付けたいんです」と上村さんは話す。人が山を手入れし、草木や鳥、動物が育ち、自然界の生物多様性が生まれる。そこから花鳥画も生まれてきた。それは東アジア独特の風土だという。だがそんな自然が今失われつつある。
「それは花鳥画の危機です。もしかしたら私が世界最後の花鳥画家になるかもしれない。なんとしても後世につなげなければ」。それが里山再生への思いだ。
上村さんは、祖母・松園さん、父・松篁さんに続く、日本画家の一家。松篁さんが花鳥画を描いてきたため、幼少の頃から家には多くの鳥や小動物がおり、彼らが遊び相手であり話し相手だった。彼らにいろんなことを教わったという。自然に淳之さんも日本画家を目指すようになり美術大学に進学。画家に反対する父の元を離れ、祖母が別荘として晩年を過ごした奈良市の山陵町に引っ越し一人暮らしを始めた。1万坪の広い敷地に自分一人、そこから鳥を少しずつ飼い始め、今では250種、約1500羽が上村家に同居する。
「絵を描くより鳥の世話をしている方が好き」というほど鳥に愛情を注ぎ世話をしてきた。そのうち専門家が考えもしない奇抜な発想で、不可能とされたシギやチドリをはじめ様々な鳥の人工ふ化に成功。上村さんの元には大勢の関係者や専門家が教えを乞いにくる。
人生の大半を鳥と過ごしてきた上村さん、絵は日常の生活から生まれねばと言う。そして裸眼で捉えた世界を胸中で長い時間をかけて夢想の世界に昇華させ、その夢の世界の具現化が絵画であると結論する。「一木一草に神仏が宿り、木々も動物も人間も同じくして存在する」というのが上村さんの哲学だ。
「本物を知らないと絵は描けません。だからこそ里山を再生し、本物の自然を感じてほしいのです。自らの眼で観察し、感性で描きあげる喜びを後進に伝えることが、先人から受けついだ私の務めと思っています」。
会の活動として、現地調査ほか、探鳥会、ササユリ見学会などを開催している。再生作業については、2月末、皆で第3回目の手入れに入った。高校生もいれば、小学生、園児から高齢者まで幅広く参加。下草刈りなど根気がいるが、上村さん自ら先頭に立ち、皆と汗を流している。
上村さんの花鳥画に背景はほとんど描かれない。「この余白は空気感です。鳥たちが住む空気感。それが体感出来る里山を皆さんとともに作ります」。