平城遷都1300年を迎えた2010年1月。奈良にまた一つ旨いものが復活した。古代中国から伝わったとされ、『万葉集』や『大宝律令』にも記される醤油の前身である調味料“穀醤(こくひしお)”。見た目は味噌のようだが、香り豊かで味は醤油に似ている。
この醤を約30年前から独自に研究を始め、奈良時代の作醤法を再現。「ひしおの会」(吉川修会長)を発足させ、『古代ひしお』として商品化させたのが『なら食』研究会代表の横井啓子さんだ。
出身は兵庫県西宮市。結婚し偶然移り住んだのが奈良県だった。「奈良ってどんなところ? おいしいものはなんだろう?」 と地元の人に尋ねてみると「昔からあるお醤油屋さんが近くにあるから行ってみたら?」と薦められた。
「今まで使っていたものと違う!醤油で地域の味覚伝達ができていることに驚きました」。このことはすべての食に共通することではないかと、ここから横井さんの『なら食』巡りが始まった。
柿の葉寿司、素麺、奈良漬、醤油など様々なお店に行って生産現場を見せてもらいメモを取る。図書館に行って専門書を読みより詳しく調べる。そんな日々を約20年間も続けてきたある日、世界最古の農業技術書『斉民要術』の解説書に出会った。そこには“醤”の古代の作醤法が書かれていた。
食物を塩に漬けて保存するうち、発酵・熟成し旨みを持つことを体験的に知った人々。大豆から作られた“穀醤”という固形の調味料は貴重なタンパク源とされ宮内省では醤の部署もあったほど高級な物だったこと。
「今ある物は突然に出来たものは一つもない。醤が時代とともに変化し、室町時代に醤油となり庶民生活に浸透していったように、過去の人がその土地や時代の要求に合わせて変化させ、今につなげてきたものだと思う」。
解説書を読み解き古代の作醤法の研究を始めてさらに5年、醤油についての講演依頼が来た。それには醤の話が不可欠。ならば自分で作ってみようと、思い立って試作してみた。「初めて食べるものなのにどこか懐かしく、日本人のDNAが息づいている」。
横井さんの心に「醤を伝えたい」という新たな思いが生まれ、奈良県工業技術センターと奈良県醤油工業協同組合に呼びかけ、1年後「ひしおの会」を発足させた。『古代ひしお』は会の発足後も試行錯誤を繰り返してやっと完成した商品だ。
醤同様、奈良に残る伝統を肌で感じて欲しいと、『なら食』研究会でも、生産現場を巡る『食』ツアーを開催している。「便利で食も手軽になった。今の時代だからこそ、食べものの背景を少し考えてみて欲しい。奈良にはそのきっかけを与えられる感動が多く残っていると思う」。過去を知りそれを伝える横井さんの目は、もう未来に向けられている。