森林インストラクターで、日本自然保護協会の自然観察指導員、さらに『水谷草木染研究所』の所長で、『あすかの森手づくり塾』コーディネーター、『山守の会』会長。水谷さんは、いくつもの肩書きを持つ。ただ、そのすべてが、自然と関わる活動に集約している。
出身は徳島県。小さな頃から野山が好きで、自然と遊んだ。結婚し、大阪に住むようになってからも、青山高原などで自然を守る活動を続けた。やがて、個人での活動に限界を感じるようになった時、学生のころに訪れ、憧れていた飛鳥で活動したいとの思いが強くなった。「この地域には、昔のままの自然が残っている。歴史的な意味だけでなく、人と共生する“日本の心のふるさと”ともいうべき自然。活動の場として、申し分ないと思いました」。
平成5年、明日香村に近い橿原市田中町に居を移した。飛鳥歴史公園が主催する「飛鳥里山クラブ」など様々な取り組みに参加、森林インストラクターの資格も取った。ただ、目指していたような活動は、なかなかできなかった。
「この地域には、宝がある。ただ同時に、人の生活の場でもあるんです。まずはここの皆さんに受け入れていただいて、一緒に何が出来るかを考える。そういう時間が、とても長く必要でした」。一人で出来ることの限界も知っていた水谷さんは、地域の人と一緒に活動することにこだわった。
現在関わっているボランティア団体は3つ。すべて平成11年頃、さまざまな出会いがきっかけとなり始めたものだ。奥飛鳥、入谷集落の女淵の滝付近で活動する『飛鳥川の原風景を取り戻す仲間の会』も、その一つ。この地域の総代から聞いた話がきっかけだった。「わしらが子どもの頃は、ここらは神の宿る森としてみんなで大切にした。ツツジやササユリが咲き、それはきれいなところだった」と。今でこそ川岸に杉・桧が林立し、四季の変化もないが、昔はそうではなかった。その風景を取り戻したいと決意し、賛同者を集めた。
話を伺っていると、何よりその行動力に驚く。その活力の源は「自然が好きだから」という。「“自然の癒し”というのは、ただ見ているだけで得られるものではありません。深く関わって、初めて得ることができるんです」。
活動を始めて10年と少し。まだ道半ばとはいえ、成果は着実に出ている。入谷の女淵の滝左岸には遊歩道が出来、サイハイランや十文字シダも見られるようになった。そろそろササユリ、ヤマユリも、花を付けているはずだ。
この活動に参加したボランティアの人数は、すでに3000人を超える。「活動に、終わりはありません。やることは無限にありますから」。そう語ってくれた水谷さんの、数分の一でも“自然の恵み”を享受してみたい。そう思った人の数だけ、飛鳥川の源流は美しくなると感じた。