「いつまでもこの村で楽しく過ごしたいんです」と、2008年夏、大阪から過疎化・高齢化が進む十津川村神納川地区にUターンした若者がいる。岡田亥早夫さんだ。
同地区は、世界遺産「熊野参詣道・小辺路」(高野山〜熊野本宮)の中間地点、標高300m余りの山あいの5集落からなる。全土の96%が山林という日本一大きな村の、中道から更に枝道に入ること15分。40世帯110人という村人のうち、20代は亥早夫さんの妹二人を含む5人しかいない。
「このままではここがどんどん寂しくなる」と、亥早夫さんの実家の民宿を含む有志10軒で「神納川農山村交流体験協議会」を設立。平成20年夏、「子ども農山漁村交流プロジェクト」として小学生の受け入れを試みた。
大学の時から村を出ていた亥早夫さんも実家の手伝いに帰り、川遊びや木工体験、農作業や食事作りなど、50人の子どもたちと一緒に過ごした。子どもや引率教師はもちろん、村の人々も人との温かい触れ合いに感動した。3泊4日後、村人たちは涙して見送り、「私ら80歳近くになってこんな楽しい経験できるとは思わんかったよ」と。
その村の人たちの声にも背中を押され、村に帰ろうと心に決める。帰ってからは精力的に動いた。人手が無くて荒廃が進む田畑の整備や、しいたけ、蜂蜜、わさびなど特産品の開発、ツアーの企画・広報、宿泊客の割り振りなどの業務に加え、実家のしいたけ棚の世話や地元での土木職と、何足ものわらじを履き替える多忙な毎日。
「多くの方に支えてもらいながら、1年が過ぎました。5年後では手遅れになるかもしれません。今60代、70代のお年寄りにいろいろ教えてもらわんと」。生活の知恵や伝統であったり、その生き方であったり、学ぶことは多い。仕事さえあれば帰ってきたいと言うような友達らのためにも事業を盛り上げ、この地区でできることの可能性を探る。
昨年1年は、都市部からの流入ルートを確認するモニターツアーの実施や特産品の開発、集落の景観保全のための棚田の復旧も試みた。「この景色、いいでしょう? ここには、二つの宝物があります。一つは『美しい日本の原風景』、そして『あったかい日本の心』です」。
この宝物と都会の人々を結び、交流人口を増加させ、持続可能な仕組み作りに向けた取り組み、それが『かんのがわHBP(Happy Bridge Project)』で、協議会の愛称とした。
今後、同プロジェクトでは、四季折々の体験やツアーの企画を進めており、5月には、子ども向け「神納川あったか田舎体験記」と、大人対象の地域貢献型ツアー「耕作放棄地の復旧作業」を実施。ほんまもんの自然の中で過ごす楽しいイベントの準備に奔走中だ。
「朝食には土地の人と一緒に茶がゆを作り、握っためはり寿司持参で世界遺産の道を散策、と非日常の時間を味わいに来てください」。