「ぼくは小さい頃から動物学者になりたかったんですよ。自然の中で暮らすのが夢でした」と語る大津昌昭さん。8年前、山添村的野の集落の外れに木の家を建てた。山里か海辺に住みたいと九州や四国を探し回ったが、結局は奈良の良さから離れられなかった。
携帯は圏外、テレビは最近やっと映るようになったという山間。布目川の源流と雑木の山に囲まれた斜面の敷地、「ぼくの遊び場です」という。「ややっ、この足跡。今朝も猪が来たな。でも今年はやられる前に芋を収穫したから平気」と笑う。
高校時代に蝶の研究で受賞。浪人時代にベートーヴェンの音楽と出合い、大学時代に「今ピアノをやらずして生きていることにはならない」と、理科から音楽科に転向したという。
小学校教員になって数年後、マレーシアのクアラルンプール日本人学校に派遣され、その折、熱帯雨林を舞う美麗なアカエリトリバネチョウの生態を研究した。
帰国後、奈良女子大学附属小学校へ招かれ、以後27年、知識は教え込むものでなく、「なぜ? どうして?」と、自ら学ぶ子どもの育成を目指す伝統の学習法実践に打ち込んだ。
十数年前、江戸末期から明治にかけて活躍した奈良人形師・森川杜園の存在に目が留まった。杜園展でのことだ。その中に精巧な模造を見たとき、創造力豊かなこの作家が、なぜ贋物など作ったのかという疑問をもち、それを出発点として人物や時代背景を調べていった。しかし奈良時代に比べ、この時代のまとまった史料はほとんど見当たらず困ったが、小説風にしてでも彼の生涯を書き表そうと、退職を機に執筆にかかった。奈良の月刊情報誌に連載中の『芸三職 森川杜園』がそれ。
午前中はパソコンに向かい、午後は裏山で遊んだりピアノの稽古をしたり。夜はフルート。
時には村の人たちに招かれて演奏もする。「大和高原文化の会」の会員でもあり、斎王の道や伊勢街道を調べたり、古老たちから山の習俗について聞き取りに行ったりもする。
「自然に恵まれていると思えることは、不便さをいかに愛せるかということです」、「学力とは表現力。言語、造形、音楽、運動、すべてが表現とすると、生きること、生活していることが表現なんだと気づかされます。生きていることが作品だと思うと、毎日が楽しいです」。
虫や花、鳥や小動物、そして村人たちとのふれあいなどを、いとおしむように語ってくれた。