2010年は寅年。寅を守り神とする信貴山では迎える準備に余念がない。奥之院でも、体長3メートルもの一刀彫の大寅を披露しようと進められている。その神聖な場のしつらえを担当するのが、墨象家の吉田礼子さんだ。今秋には同寺の縁起板を4時間かけて書き上げた。「単に寅を抽象化するのではなく、毘沙門天様のエネルギーを伝えたい」と思いを込める。
墨象とは、文字や形にとらわれない墨のアート。書、水墨画、墨象と、小さな作品から壁一面を飾るアートまで幅広く手がける。
自宅は大和郡山市の住宅街。工房である8畳間いっぱい使って、ふすま絵などが描かれる。「すうーっと心に入り込んで目立たないのに印象に残る、そんな品格のある作品が理想です」。
確かに、吉田さんの作品は、文字にしろアートにしろ、温かみがあり、斬新なのにどこか懐かしく、じんわり心に残る。その心地よさはどこから来ているのかが、ある写真を見てわかった。吉田さんが自宅の庭で撮った写真。クモが草の上に作った綿菓子のような巣が何とも愛らしい。「むーんとした霧の朝、クモ がよく出てくるのでその朝も観察していたら、こんな巣を作っているの。すごいでしょ」。好奇心旺盛、自然への観察力が鋭い。「自然って、色にしろ形にしろ、よく出来ているなあといつも感心するの」。物干し台から見える矢田丘陵の緑の濃淡のグラデーション、大和平野に囲まれた広い空、近所の桜の冬の裸木。庭の草の上に出来る小さな露…。そうした我々の身近にある大和の自然からアイデアが生まれ、作品になっていくのだ。
作品の特徴は「待つ」こと。たとえば一筆書いたら、その墨が乾くまでじっと待って、次の墨をのせる。決してドライヤーで乾かしたり、紙で水気をとったりしない。じわっと紙ににじむその様を待って、思うようににじまないときは、何度も納得のいくまで、待つ作業を繰り返す。妥協せず、ごまかさず、墨にまかせる。
「自然」の偶然から学ぶ「ホンモノ」への追求は、書だけではなく、日常全般に及ぶ。たとえば美術館や博物館には数え切れないぐらい通って、とにかくホンモノを観る。その作品だけを見たくて、新幹線に乗って東京まで行くこともある。
書道は高校時代から好きになり、大学卒業後は本格的に基礎からしっかり学んだ。その後、榊莫山氏に師事。「作品を見せても『ええなあ』と言うだけ。自由にのびのびやらせていただきました」。
気になることはすぐに調べる。たとえば物語を書にするとき、生まれた背景や作家の思いに寄り添い、納得がいくまで調べてからとりかかる。いろんなものに興味を持つことが元気の源という、好奇心いっぱいの吉田さん。おめかしされた奥之院の寅を、ぜひ観に行っていただきたい。