宇陀は飛鳥時代、皇室の猟場があったとされる場所。今も豊かな自然のなか、鹿や猪が多く生息する。その山中、携帯電話も通じない場所に、矢野さんが居るカエデ圃場がある。委託しているのは「菟田野花き植木切り花研究会」。およそ5000?の敷地に約1200種3000本のカエデが植栽されており、水やりだけでも会員2人がかりで2時間半を費やす。
矢野さんはもともと、関西料理写真の草分けとして活躍したカメラマン。制作に関わった誌面は数千に及び、今も「先生」と慕う雑誌編集者は多い。カエデの研究を始めたのも、撮影に使う季節の茶花を、奈良市内の自宅の庭で栽培したのがきっかけだった。
「最初はカエデだけでなく山野草も育てていましたが、いつのまにかカエデばかりになってしまいました。これほど有名で身近な植物なのに、詳細な観察はほとんどされていない。調べようにもきちんとした資料が見つからない。それならば自分がと、軽い気持ちで研究を始めたんです」。
平成15年に撮影から編集まで自信で手がけた『カエデの本』を出版。平成18年に菟田野町からカエデ専門家として招かれ、以来この地でカエデと共に暮らしている。
一般にカエデが注目されるのは秋。それ以外の季節に関心を払う人はほとんどいない。ただ、矢野さんが一番好きなのは、春だと語る。
「カエデは秋に色づき、春は緑と思っている方が多いと思いますが、それは違います。カエデの種類は数千もあるんです。色づく時期も、品種によってさまざま。中には常緑のものや、春に鮮やかな赤い葉をつけるものもあるんです」。
語りながらも、カエデの世話に余念がない。一番の鑑賞ポイントを聞くと、色だと教えてくれた。「赤、緑、黄と、色を口で説明することはできます。ただ、赤一つとっても、燃えるような赤から神社の鳥居に使われるような赤、少し色あせ、やわらかくなった赤など様々あります。たくさんの品種を一度に見ていただければ、そういう色の違いを体感してもらえると思いますよ」。
確かに「赤」や「緑」では説明できない色の違いがある。カメラの仕事で培われた矢野さんの目を通すと、なおさらのことだろう。
目指しているのは世界一のメープルパーク。「自由に散策できる自然観光植物園を作って、世界中のカエデの原木を集めて、そこには喫茶室も設置して…」と、矢野さんの構想は尽きない。しかもその一部はすでに、旧宇多小学校の運動場や旧保育所を利用する形で実現に向け動いているそうだ。
町中の街路樹も、そろそろ色づく。圃場のカエデもまた、さまざまな色合いで、矢野さんの目を楽しませていると思う。カエデの色がこれほど多様なのは、木々が矢野さんのカメラを意識した結果ではないだろうか。