歌姫街道という、優美な名の道がある。奈良時代以前からあったとされる古道で、平城宮から添御縣坐神社を経て、木津川へと続く。その途中、宮跡から1kmほどのところに、街道名のついた農園がある。これが、阿藤さんの歌姫農園である。
耕さない、草引きもしない、水も、化学肥料もやらない。天然自然農法とは、今までの常識からは考えられないような農法だ。作物に与えるのは、わずかな天然肥料だけ。それでも収穫は、通常の農法の数倍にもなるという。「雑草は適当に枯れるし、害虫もてんとう虫や蜂が食べに来る。自然のサイクルに任せておけば、作物はきちんと育つんです」。
始まりは、自身が発団させたボーイ・ガールスカウトの活動の中で作った小さな農園。当時は有機農法にこだわり栽培していたが、芳しい結果は得られなかった。試行錯誤を繰り返す中、里山の生産力が整備された田畑の数倍もあることを知り、自然の環境に学ぶことを思いついた。
重要なのは、土だ。園のうねは幅120cm、通常の倍ほどの広さがある。ここに少量の塩分を加えた天然のミネラルをたっぷりと与え、作物が豊富な川と海との境=汽水域に近い環境を作り出す。後は耕さないことで地下の水脈とのつながりを保ち、虫やカエルが多く住む環境を作るため、除草剤や殺虫剤を使用しない。そうして出来た土壌には食物連鎖が生まれ、作物に良い影響を与えるのだ。
農園を開いたころ、代表を務めていた増改築の会社を辞めた。会社は誰でもできるが、この農法を実現するのは自分しかいない、との想いからだ。朝から畑に出ることが楽しくて仕方ない。たまに予想外の良い結果がでると、その起因を探り、偶然を必然に変えていく。収穫した作物は店舗やレストランに卸すほか、最近は日曜に農園前で直売もしている。
平成15年に著書『天然自然農法のすすめ』を出版し、教えを請いに来る人も多い。ただ、意外にも独立して農園を作っている人は少ないそうだ。「畑に出ると、野草も抜きたくなるし、化学肥料の誘惑は常にあります。何もしない、というのは、実は難しいことなんです」。
阿藤さんの話は次第に熱を帯びる。伺っていると時折、作物のことではなく、貴重な人生訓を聞いているような気になる。「自然というのは、一人勝ちを許しません。草や虫が心地いい環境というのは、人間も心地いい。本来、放っておけばうまく回るように出来ているんです」。
そろそろ夏野菜の収穫が始まる。農園では虫や野草といっしょに、健康的に日焼けした阿藤さんの笑顔があるに違いない。今目指しているのは、農学博士だそうだ。64歳にしてこのバイタリティー。これもまた、天然自然農法の効能の一つといえるだろうか。