ススキが夕陽に照らされ、黄金色に染まる曽爾高原。その美しさはあまりに有名だが、秋だけでなく、春夏秋冬の曽爾村の豊かな自然を描いた写真集が発行された。元新聞社カメラマンの中務敦行さんによるものだ。
中務さんが曽爾の自然に魅せられたのは約10年前。定年退職したら思う存分写真を撮りたいという敦行さんと、田舎暮らしがしてみたい妻・裕見子さんの思いが一致し、近畿各地の村々の住みたい場所を探して回った。
曽爾村に決めたのは、村の人たちの人柄だ。「太郎路の集落の古い民家を買いました。まだ年に数回しか来られないんですが、いつでも『お帰りっ』と温かく声をかけてくれます。ありがたいことです」。
曽爾では、夫婦だけで過ごしたり、時には友人たちも泊まりに来て、皆で近くの温泉「お亀の湯」に行ったりウオーキングしたり、夜は宴会をしたりと大勢で曽爾を満喫している。
だが、こんな穏やかな気持ちは現役中はなかった。写真が好きで、大学卒業後、写真が撮れる仕事をと読売新聞社にカメラマンとして入社。スポーツ報道や季節の風景写真などの連載もあったが、基本は事件、事故の悲惨さを伝えること。それも他社と常に争い、抜いた抜かれたの毎日に心身を削った。
昭和53年に起きた三菱銀行立てこもり事件では隣のビルで一昼夜張り込み。トイレに行かなくていいように水分も我慢した。乱射事件や火事現場で危ない目にあったことも多々ある。
「人の死や不幸を写真にするのがつらかったです。でもその悲劇を二度と繰り返さないように、新聞で伝えるんだと言い聞かせていました」。
また、デスク(次長)の頃、阪神淡路大震災が起こった。現場に出る部下に「くれぐれも被災者やその家族に礼を失することのないようにひたむきに撮れ。君の思いが伝わるように写真を撮らなあかん」と諭した。
風景を撮ることは、その裏返しでもある。今度は美しさで感動する写真を撮りたいと。そのために大切にしている一つは、感性を磨くこと。撮影現場に行くときは、お気に入りの音楽を聴きながら心を豊かにさせていく。音、におい、味も大切にする。もう一つは自分が感動すること。でなければ人が感動する写真は撮れないとも。
曽爾の風景1枚1枚に、風や草のにおい、つららの冷たさ、曽爾村の人々の温かさなど、五感で感じるぬくもりがある。読者に常にメッセージを伝えてきた中務さんだからこそ、自然からの声もうまく汲み取っているのだろう。
「曽爾のすばらしさを、曽爾の人たちにまず知ってもらいたい。吉野のようなダイナミックさはないけれど、小さくてひなびた自然がある。まさしく風景も人も同じで皆やさしいんです。」