明日香村。高松塚古墳やキトラ古墳で知られるように、飛鳥時代の宮跡や史跡が多数残された地域で、現在、世界遺産登録への動きもある。そして、明日香は歴史以上に自然風景の美しさが魅力だ。「日本の棚田100選」に選ばれた稲淵の棚田はじめ、日本の原風景を残す明日香には、全国から多くの人が訪れている。
そんな明日香の風景を宝とし、維持し伝えていくことに尽力しているのが、西田弘之さん。現在、「農事組合法人一穀あすか」の常務理事を務める。
西田さんが生まれ育ったという奥明日香の入谷に案内してもらった。標高500メートル、すぐ後ろに神が住まわれるとされる「神奈備山」があり、そのすがすがしさは霊気とさえ感じるほど。「入谷は、飛鳥京が出来る以前、紀元元年頃からあった最も古い集落です。いわば日本の本当の源流はここだと思っています」。
そんなバックボーンを持つ西田さんだが、高校を卒業後、いったん請われて大阪の書店に入社した。だが結婚を機に奈良に戻り、26歳の時、明日香村役場に入った。
「いつも席におらへんいうて、ようおこられました。机の前にじっとすわってたらあかんと思ってましたから、毎日集落に出かけて農家の人たちと話をしてました」。
農家の現状や悩みを聞き、何が問題でどうしていくべきかを考えた。明日香には昭和55年に制定された「明日香法」がある。歴史的風土を大切にしながらも、住民の生活も守っていこうとするものだ。
「そのバランスが大切。変えるものと変えてはいけないもの、時代とともにきちっと変わっていくものを整理して住民に伝えていくのが行政の役目だと思いました」。
だが、実際は就農者の高齢化や専業農家の減少で、耕作放棄地が全体の4割にも達し、荒れ果てた農地が増え、景観が失われつつある。「農業なくして明日香の景観は保てない」と言い切り、行政として農道やため池の整備、果樹栽培の導入など、農業推進の施策を実行してきた。また農地を簡単に貸し借りできるようにと地域振興公社の設立を計画、全国で農地保有合理化事業を唯一手がける法人を誕生させた。
それでも気持ちはあせるばかり。「明日香の問題は日本の縮図でもある。景観保全、食の安全、食料不足、すべての問題を解決するために、もっと皆に土に親しみ、農業に興味をもってもらいたい」。それは入谷で生まれ育ったDNAかもしれない。
切実な思いに突き動かされて、3年前、定年を前に役場を退職。現状に自ら歯止めをかけようと、仲間に声をかけて12人がお金を出し合い、「農事組合法人一穀あすか」を設立した。地域振興公社から耕作放棄地を約8ヘクタール借り、何十年も手付かずの荒山を整備して、ブルーベリーや芋、にんにく、ぶどうなどを栽培、農地を生き返らせている。
昨年は地域の子どもたちに芋掘りをしてもらい、夏にはブルーベリーの収穫に1500人もの人が参加した。だが手間がかかりすぎて収益自体は赤字、見通しは明るいわけではない。
「あきらめません。昔のように農業がいきいき行われることが明日香を守り、ひいては今の日本の食問題を解決する手立てになるのではと信じています。将来は、一穀あすかブランドを立ち上げたいし交流の館も作りたい。農業を中心に様々なことが展開されるのが私の夢です」。