大宇陀のはずれ、のどかな田園風景の中にある「パン工房のら」。注文販売しかとらず全国発送する。買った人の口コミとブログで、近畿を中心に北海道まで常連客がいると聞き、その秘密を探りに大宇陀に向かった。
目印のバナナの木がわさわさ揺れる坂を上がると、普通の平屋が。自宅兼工房。店は持っていない。パンを焼くのは夫ののらさんこと、櫻井直樹さん。「夫婦だけど戸籍は入れていません。別に支障もないし」と笑う妻の久保亜希子さんは、同じく自宅に工房を持つ、宙吹きガラス作家だ。2人がここに移り住んで11年になる。
たまたま2人とも京都に住んでいた。知り合う前、直樹さんはコックなどで半年働きお金をためては半年アジアを旅行する生活、大学卒業後に同じく旅行中だった亜希子さんとインドで出会った。帰国後、再び直樹さんは仕事につき、亜希子さんは京都のガラス工房で修業。その後一緒になり、亜希子さんの独立を機に、室生寺が好きな亜希子さんの希望で、奈良に住むべく半年間家探し。結果、落ち着いたのが今の家だ。
「僕は仕事をやめてついて来ました(笑)」。仕事を探していたとき、たまたま図書館で借りてきた本にヨーロッパの原始的な石窯の作り方が載っていた。
「美味しいパン屋がほしいなあと思っていて、窯を見たとき、あ、これなら作れると思って、自分で石を積み上げて作りました」。あらかじめ窯の中で薪を焚き、灰をかき出して余熱でパンを焼く。販売を始めたら、買った人の口コミやブログで広がり、遠方よりわざわざ訪ねてくる人もいる。「僕らはパソコンや携帯電話すら使わないからホームページも持ってなくて。有難いことです」。
作り方は至ってシンプル。自家製の天然酵母に、国産小麦、塩、水を入れて何度も手でこねる。余分なものは一切入れない。ある建築家に「備前焼を眺めている気分」とまで言わしめた定番のライ麦パンをはじめ、少しずつレパートリーが増えていき、オリジナルの緑豆あんぱん、そば粉のビスコッティなどが好評だ。どれももっちり、外はパリっとしているのに中はしっとりしていて、櫻井さんの素朴で温かい人柄がそのままパンになったよう。料理人が多く買いに来るのもうなづける。
「薪やそば粉はパンと物々交換でいただいていて、本当にいろんな方にお世話になっています」。
日常づかい、と言う亜希子さんの器も、一つとして同じものがない、手作りの温かみがどこか懐かしく、シンプルなのに表情豊か、夫婦ならではの共通したゆるやかな感性に、ほっと心がなごんでくる。
「この家からの眺めや竹やぶの風、小鳥のさえずりなどの自然とともにある暮らし、その中でのものづくりの賜物です。ここでしか生まれないものです」。
目下の悩みは、2人とも土・日曜が忙しく、村の行事になかなか出られないこと。直樹さんは土・日曜パンを取りにくる人が多く、亜希子さんも、窯に火を入れたら3か月は無休で作り続ける。
「のら」は、本当は猫の名前。今は4匹もいて、旅行にも行けないが、「ここ自体がアジアに旅しているような気分になれるので、ここでうだうだしているのも楽しい」と。将来はこんな自然な場所に、小さな店とカフェが持てればと、のんびり夢を温める2人だ。