奈良市田原。茶畑と水田が広がるこの地域は、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した、河瀬直美監督『殯の森』のロケ地として、一躍有名になった。この映画の製作に尽力し、田原フィルムコミッションを作ったのが、中尾義永さん。
「田原という昔からの土地に、河瀬さんという外の風を受け入れ、新しい風土を創ろうやないかと地域の皆に呼びかけました」。怪訝そうな顔をしていた地域の人たちも、中尾さんの熱意にほだされ、高齢者ら多くがエキストラ出演したり、ボランティアで手伝ったりした。カンヌの受賞は皆我がことのように喜び合ったという。
中尾さんは、お茶3haと水田2.5haを営む、中尾家の5代目。大正4年生まれの94歳のおばあちゃん、ご両親、中尾さん夫婦、娘と息子の8人大家族で暮らしている。
「元々農業を継ぐ気はなかったんです。でも、高校の時、先生に『農家なんかより他の職業につけ』と言われ、農業という職業をさげすまれた気がして、思わず『農業は男が一生かけるのに不足のある仕事とは思えません』と先生にタンカを切ってしまったんです。そのまま意地を張り続けて大学で農業を学び、今に至るわけです」。
しかし、現実は甘くなかった。次第に高級茶が売れなくなり、お茶の利益で維持していた水田も危うくなってきた。お茶に代わる収入を求めて、5年前、地域の仲間と共同で出資し、ブルーベリー園を始める。
「専業農家だけでなく、銀行員、行政マン、会社員などをしながら先祖の田畑を守り続けている人も含めて12人。それぞれの知恵や力を出し合って、研究しながら試行錯誤を繰り返しました」。今やっと軌道に乗ってきている。
今は、次の地域づくりに夢中。それは、田原の町全体を考える「田原まち創り推進協議会」だ。組織の中に、福祉、教育、防災などの部会を作り、それぞれが行政に代わる役目を負える、小さな行政をつくろうとしている。「田原は市街地から離れた山里です。大災害が来れば陸の孤島になってしまう。行政を頼らず自分たちで自分たちの地域を守っていかないと」。
協議会の活動として、地域14か所をまちかど博物館として紹介する田原やま里博物館を立ち上げたほか、4月20日には農作物の直売所をオープンする。安全、安心な商品ばかりを、顔の見える販売でしっかり売っていきたいと皆意気込んでいる。
不安や悩みは、94歳の祖母の存在でかき消される。「だって戦前、戦後という日本の激動期を生き抜いてきて、今もはつらつと生きている人ですから。少々のことでは驚きもしない。ありがたい刺激です」。
『殯の森』制作に関わって、改めて田原のすばらしさに気づいた。それは風景だけではなく、暮らす人々の温かさと強さだった。「大事に思う風景を守り育てる底力が田原にはある。我々の誇りです」。