緑豊かな御杖村を車で走ると、目に飛び込んでくるのが真っ赤なガルバ壁と2本の黒い煙突。竹中練一さんと妻の伸子さんが開く「ピッツェリア エ トラットリア レノン」だ。
大阪市北区でイベント制作会社を経営していた竹中夫妻。練一さんは舞台演出家、伸子さんはプランナーとして多忙な日々を過ごしていた。「老後は田舎暮らしがしたいね、と2人で言っていたんです」
13年前からは週末を利用して御杖村に滞在。都会の雑踏を離れ、空気のおいしさや自然が広がる風景に癒やされていた。
「舞台演出の仕事は55歳で辞めると決めていた」と練一さん。演出家という仕事は、年を重ねるにつれ若者と感性も違ってくる。そのため会社は若手に任せ、自分の感性を生かせることを新たに始めたいと考えていた。
そんな矢先、会社近くのナポリピッツア店で見たピッツアを焼く姿に目を奪われる。生地の練り具合、窯の熱気、炎の強さ、焼き加減……。すべて自分の勘を頼りに作品を生み出す姿こそ、まさに自分の求めていた職人の仕事だと感じ、次はこの道を極めると決意した。
予定通り55歳で会社を若手に託し、2か月間単身でイタリア・ナポリへ。言葉があまり通じない中、見よう見まねで現地のピッツア専門店とトラットリアで修業。1日に300枚近くのピッツアを焼き続けて作り方を体に覚えこませた。
帰国後は御杖村に定住し、開店準備に取り掛かる。しかし日本とナポリでは気温や水など環境が違うため、満足のいく生地ができなかった。日本でのおいしさを再構築するため、材料や室温、発酵時間を何度も試行錯誤。生地は国産の小麦粉と水、塩のシンプルなレシピで、イタリア産モッツァレラチーズとトマトソースを使用し、御杖村の地産食材や自家菜園で採れた野菜にこだわることに決めた。その間、伸子さんもパン教室に通って店の準備を進め、練一さんの帰国から約1年半後、ついに開店の日を迎えた。
「村の人と交流するようになったのは、お店を始めてからですね」と2人。オープンから半年たった今では、平日は地元の人がお茶や語らいの場として集うようになった。近所の作家が個展を開くとなれば店にチラシを置き、同じ移住者が自家焙煎したコーヒー『みつえブレンド』をメニューに加えて村の人に味わってもらうなど、「レノン」での交流が村人同士をつなげて輪を作った。
週末は自転車やバイクのツーリング客が多く訪れ、立ち寄りスポットに最適と口コミでさらに輪を広げてくれた。旅行者には地図を見せ、村のおすすめスポットも案内。サロンのように人が集う場となった。
店内に入ると、真っ先に目に入るのが大きくて黒い薪窯。そこでピッツアを載せた長い木製パーラを瞬時に動かし窯に入れるパフォーマンスは、ライブそのものだ。いつの間にか窯の周りにはギャラリーが集まり、初対面の人同士も一緒になって一枚のピッツアの完成を喜んでくれる。
舞台演出家として活躍してきた練一さんにとって、「レノン」こそが新たな舞台。村と人がつながる輪の中で、今日もまた臨場感あふれるピッツアを焼き上げる。